犬が西向きゃ尾は東だろ犬が西向きゃ尾は東だろ

1 猫は小判の使い方がよくわかりません

 俺は小さいときから女にかまわれすぎて育った。一人っ子だったため、母親の趣味である日本舞踊にいつも連れていかれていたので、稽古場で俺は年上女性のおもちゃだった。
 幼稚園の子供にとっては、中学生も大学生も主婦もみんなおばさんだ。区別なんてつくわけがない。初めて連れていかれたとき、母親が「あのお姉さんにこんにちはして」というので、その部屋にいる女の人すべてににっこり笑って「お姉さんこんにちは」と挨拶したら、あちこちで上機嫌な「お姉さん」たちに抱きつかれたり、頭をなでられたり、持ちきれないほどのお菓子をもらったりした。
 お菓子が嬉しかったので、次回からも「お姉さんこんにちは」をしていたら、頬にキスされたり、体中なで回されたりした。そのうちに「娘が着なくなったから千隼(ちはや)くん着てみて」と真っ赤な七五三の着物を着せられ、口紅まで塗られてしまった。「日本人形みたい」「悔しいけど娘よりかわいいわ」などと言われても、俺は特に何の感慨もなく立っていた。
 しかしその無関心ぶりがますます「お姉さん」連中の心に火をつけたらしく、娘のピアノの発表会のドレスだの、ウェディングドレスの裾を持ってくれた甥っ子のタキシードだのを、着せ替え人形よろしく次々に持ってこられて、そのたびに俺はキッズモデルのように着替えさせられる羽目になった。
 女の子がほしかった母親は止めてくれるどころか、一緒になってカチューシャやらお化粧やらに凝りだし、お母さんとペアのドレスを買いましょうと言い出したので、それはきっぱりお断りしておいた。そのかいあって着せ替えごっこはおしまいになったのだが、「お姉さん」たちの過剰なスキンシップと愛情表現は、そのまま小学校高学年になって稽古について行かなくても良くなる時まで続いた。

 中学生になる頃には、自分の顔が他の男子よりも女性の関心を惹きやすいということを、はっきり自覚するようになった。町ですれ違う女性はほとんど俺の顔をじろじろ見てくるし、ヒソヒソ噂されたり立ち止まったりされることもざらにあった。
 あまり話したことのない同級生に告白されて「お付き合い」を承諾したら、下級生に「彼女がいてもいいから付き合ってください」と言われてそれも承諾。そうしたら同級生が「私という者がありながら」と泣きながら訴えたので、学校中に「柿沼は女たらし」説が広まってしまった。面倒くさいので否定せずにいたら、「それでもいいから」とか「あなたはそんな人じゃないと思う」などと自分勝手な理屈でもってお付き合いをせまる女性が次々に来るようになった。
 女が切れたことがないというけれど、向こうから告白してくるのを断ったことがないだけだ。実は俺は女でも男でも、人に惚れたことがない。そもそも惚れると言うことが良くわからない。こちらから近づく努力をしなくても大抵の人間は近寄ってきたし、近寄ってこない人間に用事もなかったからだ。俺はいつだってそうやって生きてきたし、それで不自由なこともなかった。

「お前にその顔は猫に小判だな」と言われたのは高一のとき。俺の中身はその時から変わっていない。
「面で隠しておけ」と言われたから、言われるままに剣道部に入り、主将も務めた。推薦されて他にやる人間がいなかったから生徒会長もやった。勉強もそこそこ出来たから浪人せずに希望大学に入学した。近頃じゃ開き直りモードで、「猫に小判でけっこう、好きでこの顔に生まれたわけじゃねえ」と心の中でうそぶいている。

 柿沼千隼(かきぬまちはや)大学三年の春。
顔はいいけど残念なヤツ、というレッテルはまだ背中にベタンと貼られたままであるが、そのレッテルに気づくヤツは少ない。

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