壱頁劇場すぴのべ
数年来の友人が焦って電話してきたのは、日曜の午前七時だった。
私は昨晩の合コンで「お、なかなかいいじゃん」と思った人となかなか隣に座ることが出来ず、二次会、三次会と付き合ったあげくに酔っ払ってどうでもよくなっちゃって、気がついたら午前一時に自宅マンションに座り込んでいたという、なんともぱっとしない夜を過ごしていた。なので、次の日の朝くらいはゆっくり惰眠をむさぼりたい。日曜だからバイトもないし、目覚まし時計もセットする必要が無い。
大学院に進んでから必修の科目はごそっと減ったし、そのぶん好きな科目だけに絞れる。時間はたっぷりあるのよ。お昼の十二時くらいまでゆっくり眠るわよ、とタオルケットをまだ見ぬカレの代わりに抱き締めていた。
そんな朝に携帯が鳴り響いたところで、もちろん出る気にはならない。留守電もセットしてあるし、用事があればまた掛けてくるわよ、と無視を決め込んだ。
しかし敵もさるもの、なかなかしぶとい。
二〇回くらいのコールであきらめたかな、とほっとしたのもつかの間、五分後にまた鳴り始めた。
いい加減にして、私は眠いの。
昨日の荷物と一緒に放り出されたままの携帯に枕を投げつけてみるが、黙り込んでくれるどころか、当たり所がよかったのかスピーカーがこちらを向いてしまったようで、大音量の呼び出し音でがなり出し始めた。
シューベルトとかのクラシックにセットしておけばよかった。健やかな安眠が約束されたのに。何が悲しくて日曜の朝早くから、ポケモンの主題歌を延々聴かなくちゃいけないのか。
麗香のヤツ。いくら数年来の友人だからって日曜の七時から掛けてくるほど非常識なヤツだとは知らなかった。やっていいことと悪いことがもうわかっている年でしょう、特にそっちはもう働いているのだから。
麗香専用の着メロにぼやいてみるけれど、いっこうに鳴り止む気配が感じられない。それでも七回のリダイヤルまで粘ってから、とうとう覚悟を決めて私は電話に出た。
「どうしよう、今日、智明が部屋に来るって!」
二日酔いの頭にキンキン声が響き渡る。
「麗香、朝起きたらまず挨拶でしょう。大きな声を出さないでちょうだい」
私は片手に携帯、片手でこめかみを押さえながら食卓にもたれかかった。
昨日も午前様、今日も合コンの予定。誰のせいでこうなったと思っているのだろうか。
元はといえば麗香が、新しくできた彼のことを愚痴に紛れてのろけまくるから。オトコ日照歴ン十年のこの私、少しばかり羨ましく思ったとしても仕方ないでしょう。
私の心の声には耳も貸さず、電話は自分勝手に悩み相談室を繰り広げている。
「どうしたらいいと思う? 智明、本気かな?」
いや、そんなの知りません。夜中のテンション最高潮な時ならいざ知らず、午前七時なんて今の私にとっちゃまだ真夜中、丑三つ時ですよ。
いくら七月とはいえ寝起きはちょっと冷える。カーディガンを羽織って覚悟を決めた私は、せめて頭をすっきりさせるべく、キッチンにコーヒーを沸かしに行った。
「それで? 何がどうしたって?」
「だからぁ、智明が今日の昼、うちに来るっていうのよ。それってどういうことだと思う?」
「ほほー、智明君思い切りましたねえ。そりゃあ、そういうことなんじゃないですか? 付き合ってる男が彼女の部屋に訪ねてくるって言ったら、すること決まってるじゃないですか」
ヒェッだか、ギョエッだか声にならない声が聞こえて、同時に電話を落としたやかましい音がした。
「麗香! 何べん言ったらわかるのよ。アンタが携帯を落としたらこっちの耳が痛いんだからね。気をつけなさいよ!」
くどくど謝りの言葉を聞きながら、私はコーヒーカップを片手にテレビをつける。
日曜の朝早くなんて全然面白い番組やってないじゃないのよ。
「やっぱりそういうことだと思う? 部屋に来るってそういうことだよね?」
深酒した翌日のコーヒーは苦い。私は電話口でまだしつこく繰り返している麗香をばっさり切り捨てた。
「そりゃそうに決まってるでしょうよ。アンタも覚悟しときなさいよ」
しかし次に続く言葉は私の予想の斜め上を行くものであった。
「でも、でも、キスもまだなんだよ、アタシたち」
「一年以上もつきあってて何やってんのよ、アンタたち!」
私は思わず電話に向かって叫んでいた。
あー、もう、いいトシしてこの二人は何やってんだか。
麗香は大学在学中、悪友連中によるからかいまじりの忠告には一切耳を貸さず、一人のイケメン君にずっと片思いして追いかけまわしていたのだ。卒業してからやっと、彼女を見守っていたけなげな智明クンに気づいたという体たらく。
アタシがもらっとけばよかった。智明を狙ってる娘は結構いたんだからね、麗香ももっと優しくしてやってもいいだろうに。
「やっぱり変だよね、一年以上もなにもないって。ねえ、どうしたらいいと思う?」
なんだかむしゃくしゃしてきたので自然と電話の声もつっけんどんになる。
「どうしたらいいと思うって、アンタはどうしたいのよ?」
「どうしたい……って、智明とうまくいきたい、んだよ?」
途端に小さくなった麗香の声を聞き流しながら、私は考えを巡らせる。
ここで麗香をたきつけるより智明に火をつけたほうが早いかも。この二人だけに任せておいたらいつになったらきちんとくっつくかもわからないし。この電話を早く終わらせて智明に電話してみよう。
ここまで考えてふと冷静になる。どうして私、こんなに熱心になっているんだろう? 付き合う時から二人とかかわっていて、いうなれば仲人みたいなものだけど、でも……。
「…………が好きなの?」
いけない。自分の考えに夢中になって麗香がしゃべっているのを聞きのがした。
「え? 何が好きだって?」
麗香に問い返す。
「いやね。今でもクマせんせのこと好きなの? って聞いたのよ」
そのあとに続く沈黙は非常に長かった。
「なっ、なっ、何を言ってるのよ。アンタでしょ、夢見るオトメは!」
「そんなにうろたえなくても。学生の時からわかってたよ。一年の時からだとすると六年目でしょう」
見抜かれていたのか。相変わらずヘンなところだけ鋭いのよね、この子。
「……私はそんなにしつこくないわよ。四年くらいよ」
あきらめて白状する。電話なのに麗香がにやっと笑ったのを確かに感じた。
悔しい、覚えてなさいよ、引っかき回してやる。
「安心して、もう諦めてるから。最近は合コンで忙しいのよ。今日もあるんだから。それよりアンタ、智明がもうすぐ来るんでしょ。どうするのよ」
電話の向こうで息をのむ音がする。形勢逆転。
ふふん、耳年増だからってなめんじゃないわよ。
「そうだったあ。ねえどうしよう。どうすればいい?」
「私に聞かれてもわからないわよ。手作りのお昼ご飯でも作ってあげるのね」
「お昼、レシピ何にしよう。あんまり手のかかるものはダメよね。この日を待ちわびてました、なんて思われないように、でも歓迎ムードは壊さないようにして……」
「冷やし中華でいいんじゃない。なんでもいいわよ。智明、好き嫌いなさそうじゃん」
呆れ口調でそう告げれば、電話の向こうではデザートどうしよう、ゼリーってどうやって作るのお、と悲鳴が聞こえる。
「まず、メニューを決めて買い物行きなさい。部屋の掃除もするのよ」
「うわあ、イケナイ漫画がいっぱいある。これ、押し入れに片付けなくちゃ」
パニックになっている麗香を尻目に最後の捨て台詞を投げる。
「あ、そうそう、布団をきちんと干しておくのよ。お天気がよくてよかったわね。それじゃあね」
ブヘッと年頃の女性の出す音とは思えない音が聞こえたが、かまわず通話終了ボタンを押す。
苦しめ、苦しめ、アンタのは幸せな苦しみなんだから。
アンタたちがうまくいくのを本当は見たいのよ、私。長い長い片思いを振り切って幸せになってよ。そして、そんな姿を私に見せつけてちょうだい。
私も今晩の合コンに備えて美容院にでも行こうかな。ショッピングに行ってお洋服を見るのもいいわね。今日は思いっきりお金を使うわよ。今月のバイト代全部使ってやる。なんて幸せな休日なんでしょう。