漆黒の鷹漆黒の鷹

第三章 大友
12 キノコ狩り

「キノコを採ってこい」と鷹に言われた。
 それはいいが初夏のこんな季節ではキノコはないだろう、と言ったのだが問答無用で追い立てられた。十市も一緒にだ。

 最近鷹の訓練は厳しさを増していて、日が暮れてからも続けられることが多い。それでも今までならばアザだらけ、擦り傷だらけで腕の一本も折りそうなものだが、近頃は高市も上達してきたのか打ち返すことも多くなってきた。そうなると現金なもので苦しいだけだったのが少しばかり面白くなってきて、今日も訓練がないのが少し寂しかったりもしている。
 しかし十市と一緒のキノコ狩りであれば何も文句はない。十市のおにぎりには高市の好きな蕗の煮物が入っているはず。
 二人は意気揚々と出かけていった。

 初夏の森は緑も生き生きしていて気持ちがいい。木洩れ日までが華やかに躍りさざめいている。
 さっきからかん高い鳥の鳴き声が聞こえる。ピッピョピッピョピ。人間には口笛ででも出せないような高音でさえずりあっている。
「オオルリですね」
 十市の指の向こうには鮮やかな青色をした小鳥がいた。感心して振り返るとにっこりと「鷹に教えてもらいました」と言った。
 確かに鷹は森のいろいろなことをていねいに教えてくれるのだ。あの見下すような笑いを浮かべながら。
――いや、十市にはあんな笑い方はしないよな。
 ひとつ溜息をついて、高市は何も言わずに足を速めた。

 鷹ご推薦のキノコの穴場にたどりついたが、やはり時期が悪すぎたようでめぼしい得物は見つからないようだ。
「だから言ったんだ、こんなときにキノコなんかねえって」
 今日は昨日よりも暑いような気がする。歩いてきたせいもあって背中は汗ばんできている。気の早いヒグラシが一瞬カナカナカナと鳴いてすぐにやめてしまった。
「でも気持ちいい所ですね。あまり、歩き回ると迷子になっちゃいますから、ここでお弁当にしませんか」

 兎の肉、キャラ蕗のでかいおにぎり、野菜の煮付け、高市が竹を切って作った水筒。広げていて皿がないことに気づいた。見回しても辺りにはあいにくクヌギの木しかないようだ。
 ないよりましだろう、とクヌギの葉を皿がわりに使うことにする。
 ふと、樹液を吸いに来ている鮮やかな青い羽の蝶々に気づいた。オオムラサキだ。よく見るとそこから少し離れたところにはクワガタもいる。クヌギの樹液はよほどうまいらしい。
 十市と二人でしばらくそこにいる昆虫たちを見つめていた。薄汚れた青色の蝶も見つけたが、名前は二人とも知らなかった。
 皿がわりにするため十市が葉を一枚ちぎる。とたんに「きゃあ」と大きな叫び声があがった。高市が慌てて振り返ると、
「虫、虫……」
 放り投げることも出来ずに、親指ほどもあるまるまると太った青虫を手のひらに乗せて泣きそうな十市がいた。クヌギの葉についていたものが手におちてきたらしい。
「毒はなさそうだぞ」ニヤニヤしながらの言葉に、
「たけち、お願いします……」情けなさそうに十市が答える。
 これ以上いじめるのもかわいそうだしな、と言いながら高市が取ってやると、十市は、高市の肩越しにそうっとのぞき込みながら、
「殺さないで元のところに戻してくださいね」
 とにっこり笑った。

 大した得物はなかったけれど、二人は満ち足りた気持ちで歩いている。
 十市は鷹のお土産にするのだと言って、ヤマモモの実を風呂敷いっぱい採ってきた。気をつけないと結び目から飛び出してしまいそうなほど採ってきて、にこにこ笑っている。高市は苦笑いしながらその荷物を抱えて歩いている。
 いつものしだれ桜が見えてきた頃、普段と違う空気が家の周りを取り巻いていることに気づいた。誰かが言い争っているような気配がする。
「鷹?」
 十市と高市は顔を見合わせて小走りに近づく。
「もう帰ってくれ! これ以上話すことはない」
 驚いたことに鷹が声を荒げて怒鳴っている。ちらりと十市をうかがうと、手を口に当てて驚いていた。

「大友さま?」
 鷹の黒い影に隠れて見えなかったもう一人の人物が現れ出た。
「十市殿、お久しゅうございます。神殿以来ですね」
 涼やかな声の大友が満面の笑みで十市を迎えた。
「どうなさったのですか? それに、これは?」
 当惑を顔に貼り付けて十市が尋ねる。

 鷹は振り向かない。その背中に簡単に声をかけられないものを感じて、高市は立ち止まった。固く握りしめた両手、細かく震えている重たげな翼、鷹は何かをじっと堪えているようだった。
 
「十市殿にお目にかかりたくてやって参りました。今日はどちらへお出かけだったのですか?」
 大友はあくまで慇懃な口調を崩しはしない。もちろん十市にだけだが。いつもながらの取り澄ました表情の奥では何を考えているのかよくわからない。
 十市はすがるように高市を見た。その瞳に応えるべく、高市は十市の肩に手をポンと置いて大友に立ち向かう。手に持った風呂敷包みからヤマモモが一つころころと転がり落ちて、大友の足もとで止まった。
「久しぶりだな。何しに来たんだ?」
 神殿で出会ってから二ヶ月近くが経っているが、あまり会いたくはない相手だった。

 
「もう何も言うことはない。帰りなさい」
 鷹が静かな口調で、だがきっぱりと大友に言い渡す。
 ビクンと肩をふるわせた大友は、ゆっくり鷹に向き直った。
「わかりました。でも次には村長として参ります。そのときにはよいお返事をいただきたいものです」

 鷹は黙っていた。だが野生の鷹そのものの、どう猛な目つきで大友をじっと見据えている。これ以上一言でも言ったらその場の均衡は崩れる、そんな危うい気配が伝わってくる。高市はゴクリとつばを飲み込んだ。
 
 大友は賢明にも一言もしゃべらず一礼だけしてして去っていった。
 その姿をじっと見守っていた十市がほうっと息を吐きだす。固まっていた空気が十市によってほどけていくようだった。

 
「今日は食事はいらない」
 鷹は一言だけそう呟くと背中を見せて家の中に入っていく。
 後に残された高市と十市は顔を見合わせる。だがお互いの顔に何かいい考えが書いてあるはずもなく、途方に暮れるばかりであった。
「これからどうなるんでしょうか」
 十市の言葉がやけに頼りなく響いた。

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