漆黒の鷹漆黒の鷹

第二章 十市(とおち)
6 鹿狩り

 高市は腹立たしい気分のまま朝食の席に着いていた。先ほどまで慣れない手つきで畑を耕して畝を作っていたのだ。
 早朝にこっそり森を探りに行こうとしたところを、鷹に連行されて今まで畑仕事だったというわけである。しかも鷹にはどうやら遠くの物音でも聞こえ、見えないものも見えてしまうという技があるらしい。これでは逃げることを考えたところで徒労に終わってしまう。高市少年はおもしろくない気分だった。
 指が鋤を持つ形に固まって箸がつかめない。昨晩の残りである野ウサギの肉を取り落としてしまい、高市は恨めしく思う。高市の好物なのだ。見かねたのか、十市が肉を取り分けてにっこり笑いながら手渡してくれた。
(やっぱり桜の精みたいだな)
 桜の花びらのような爪をみながら高市は思う。この二人は本当に親子なんだろうか。十市は鷹と呼んでいて、父と呼んではいない様子だ。
 その鷹はあれくらいの労働では汗もかいていない。やはり日頃の訓練のたまものということなのだろう。
 鷹を倒さなくてはじいちゃんの所に帰ることが出来ない。そしてその男はめっぽう強い上に、妙な技まである。
(これは言いたくなかったけど仕方ない……)
 高市は食卓を両手で叩いて立ち上がった。
「おいらに戦い方を教えてくれ!」

 鷹は少しも動じることなく、高市を鋭く射抜くように見つめている。
「さっき言ったよな。あんたを倒すしかここを出る方法はないって。おいらは今まで戦ったことなんかねえんだ。あんたが教えてくれ」
 高市も負けまいと強い気持ちでで鷹を見つめ返す。眼光鋭くそれを受け止めた鷹が、不意に視線を外した。
「私を倒すということは、おまえと私は敵同士になるのだが? おまえは敵に戦い方を教わりたいというのか?」
 高市は歯を食いしばってうつむいた。
「仕方ねえだろ。おいらはケンカならしたことあるけど、戦いの訓練なんてしたことねえんだ。教わるしかねえ」
 突然、鷹は堪えきれないように笑い声を上げた。クックと笑う鷹を見ながら、何でそこで笑うんだよ、と高市は大いに業腹だった。
「よかろう。戦い方を教えてやろう。午後からは訓練の時間にする。午前中は畑仕事や、猟をするんだ。自分の食い扶持くらいは自分で調達してもらわないとな」
「……わかった」
 高市はいらだたしげに大きくふかし芋にかぶりついた。しかしすぐにむせてしまい、涙ながらにあわててお茶を飲み干す。十市が笑いながらお茶のおかわりを注いでくれる。鷹は高市をまだおかしそうに眺めている。
(ちきしょう、ばかにしやがって)
 腹を立てていた高市だが、祖父と二人きりの食卓を思い出し、人数が多いと食卓も賑やかになるんだなと、新たな発見をした思いであった。
(おいらはじいちゃんだけでいいけどな)
 半分負け惜しみのように考えるのも忘れなかったが。

 森で猟をするのは午前中だけのつもりだった。しかし歩き回ってはみたものの、獲物にはまだ出会えていない。下生えの笹を、出来るだけ音を立てないように踏んで歩く。軽いひっかき傷が出来ている。
「あんたの能力で、鹿でも見つけられないのかよ」
 腹立ち紛れに高市は鷹に当たり散らした。
 鷹のすまし顔からは、
「気配くらいならわかるのだが。近くに何かがいる気配はあるのだが、何かはわからない」
 という答えが返ってくる。
(それじゃ意味ないじゃないかよ)
 高市は声に出さずに腹の中でぼやく。
 さっき鷹に肩を叩かれ、「お前の頑張りに期待している」と言われた。それからどうにも調子がつかめていない。
(芯から悪いやつじゃないみたいだがいったい何を考えているんだ)
 高市はため息をついた。
 そのとき、鷹が音を立てるな、と合図を送ってきた。何か獲物を見つけたらしい。
 鹿だ! 鹿なんか初めてだ。高市はわくわくするのを止めることが出来なかった。
 鷹がそうっと飛び立つ。上空から狙うつもりだ。高市は慎重に近づいていく。弓には結構自信ありげに、高市はそうっと弓をつがえて的を絞り、矢を放った。しかし矢は残念ながら外れてしまったらしく、鹿は逃げだそうと走り出した。そのとき上空から鹿の頭に矢が突き刺さって、鹿の動きが止まる。すかさず降下してきた鷹がとどめを刺した。
 大物の鹿でも難なく射止めてしまう鷹の腕前に、高市は内心で舌を巻いていた。それを言葉に表すことはなかったけれども。

 帰宅するともう夕方近くになっていた。
 鷹は早速、鹿の解体に取りかかり、高市と十市は肉を焼く準備だ。戸外のかまどのたき付けにする枝を拾いに行ったり、火をおこしたり、小さな家の前はにわかに慌ただしくなった。
「すごいのですね。たけちはいつも、鹿をとっているのですか?」
 火をおこしながら、十市が目をくりくりっとさせて問いかけてくる。高市は目を反らしながら、「最初の一矢はおいらだったよ」と口のなかででつぶやいた。
 しかし鷹の耳には聞こえたらしく、「そういえば鹿の尻に、矢がほんの少し刺さっていたようだが」と聞こえよがしの独り言を吐いている。
(ちきしょう)
 高市は腹立ち紛れに、めくらめっぽう火をおこすための団扇を振り回したので、灰がもうもうと舞い上がり、十市は咳き込み、鹿肉は灰だらけになってしまった。

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