だから、待ってるからだから待ってるから

1 「だからね、明日、もう今日だけど、一日だけつきあって?」

 研究室に泊まり込んでもう三日目。いい加減飽きてきた。俺は代々受け継がれてきた80℃くらいまでしか沸かないポットを使って、カップラーメンにお湯を注ぐ。もうストックもおしまいだ。また買ってこなきゃ。置いといてもみんな勝手に食べちゃうから、今度は名前書いといてやる。

 大輔はさっきからパソコンで三国志ゲームをしている。三日前から育成していたあいつの弱小領主がやっと国を広げたらしく、やけに満足そうだ。俺と目が合うとニヤッと笑って言った。
「目途ついた?」
「来週にはできるだろ。手伝ってもらって悪かったな」
 カップラーメンのからんだお箸を持ち上げてあいさつ代わりにする。
「俺の提出の時にもお願いするもんね」
 大輔も三日間の泊まり込みに付き合わせたのに明るく返してきた。
「もう今日はこれで帰るよ。あとは来週だ」

 人のいい顔でニヤリと笑って見せた大輔は、俺の大学での親友だ(本人にはそんなこと口が裂けても言えないが)。いかにも育ちのいい田舎のお坊ちゃんなのだが、なぜか俺と気が合い、同じゼミで何となくつるんでいる。

 俺が真田で、大輔の名字が沖田。そのため、このゼミでは宇宙戦艦ヤマトごっこが流行っている。
「沖田艦長、カップラーメンの備蓄がもう底をつきました。明日からの土曜日曜は上陸しての食糧補給をしたいと思います。許可をお願い致します」
「うむ、真田くんならやってくれるだろう。期待しているぞ。では今日はもう休んでくれたまえ」
 俺たちは笑いながら部屋を出た。

 
 明日からの休み、久し振りにツーリングにでも行くか。林檎の花が綺麗なあの街道に行ってみようか。少し遠くまで足を延ばして温泉にしよう。三日も研究室に泊まったから、下宿で風呂に入ってゆっくり寝て、それからだな。
 俺は下宿に向けて夜道をとぼとぼ歩いていた。

 
「あなた、遼クンでしょう?」
 は? 俺は自慢じゃないが、女に名前を呼ばれるような付き合いはしたことは……、数えるほどしかない!
「やっぱり遼クンだぁ! よかったぁ!」
 そういっていきなり俺の腕にからみついてきたのは、40代半ばくらいの地味なオバサン……。腕を払い除けなかったのを誰か誉めてくれ。艦長なぜですか、ここは黒髪の美少女がお約束なのでは? と心で激しくツッコミながら、何気ない風を装う。
「どちらさまですか?」
 

「やっぱり忘れちゃったのねぇ……一緒にお風呂入ったことだってあるのに……」
 オバサンの声が微妙に大きくなった気がする。
「何を! ……いや、取り敢えずここはだめです。そこの公園に行きましょう」
 こんな時間に、下宿のすぐ近くで、こんな大声で喋らないでくれ。心臓に悪い!

 
 遼クンのお部屋でもいいんだけどなぁ、なんてほざいてるオバサンをつかんで、公園のベンチに座らせた。俺は立ったままにらみを利かすように言った。
「で、アナタはどちらさまですか?」

 
「ちょっとその前に! ……今は何年かしら?」
 は? このオバサンは何を言っているのでありますか、艦長?
「1991年5月24日金曜日ですが?」俺は、それがどうした、というのをこらえるのに苦労した。
「うっふふう」
 オバサンはタップリ時間をかけて、にちゃぁっと笑った。
「もう、夜中の12時過ぎたから25日土曜日ね。……りょうぉクゥン、会いたかったぁ」
 
 
 ……立ち直るのに1分くらいはかかってしまったが、俺はポーカーフェイスには自信がある。
「どちらさまでしょうか?」
「なんだ、面白くない。全然動揺してくれないのね。小学校のあだ名が亀仙人だっただけのことはあるわ」
 オバサンがこちらの反応を窺うように言う。
 落ち着け、遼介。オバサンはわざとお前を動揺させようとしているぞ。

 
「どうしてご存じなのかはわかりませんが、よくお調べでいらっしゃいますね」
 ちょっと嫌味だったか? 初対面なのに。
「遼クンのことならなんでも知ってるわよ。半年続いた彼女は元気? もう別れちゃった?」
 芙美子のことは大輔と、あと友人数人しか知らないはず。何故知っている? 一週間前に別れたことは大輔でさえ知らないのに……。

 
「少しは驚いてもらえたようね。そうでなくっちゃ。少しは楽しませてもらわないと。さてと、これからが本題よ。遼クン、明日はお暇でしょ、私とデートしてね」
「はぁ?」
 本心からの叫びが出てしまった。ナニいってんだ、このオバサン?
「だからね、明日、もう今日だけど、一日だけつきあって?」
 オバサンはにっこり微笑んだ。その顔は、芙美子が最後に見せた微笑みにどことなく似ていて、思わず唾を飲み込んだ。

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