だから、待ってるからだから待ってるから

2 「んー、それはちょっと企業秘密? 全然大丈夫よ。」

 俺はまじまじとオバサンを見る。
 公園の街灯に浮かび上がるのは、化粧っ気のない顔、薄茶色のズボンに焦げ茶の上着、足元はどうみてもつっかけ。髪も手入れしてない。ちょっとスーパーに買い物に行く主婦のような、俺の学生生活には全く接点のないオバサンそのものの姿。
 なのに、他人のプライベートを、それも当事者しか知らないようなことを知っているこのオバサンは、いったい何者なんだ?

 
「うふふ。何者?みたいな顔しているわね。それじゃヒント。遼クンのご両親は北海道出身でしょ。小さい頃行ったことあったんじゃない?」
 確かに親父やお袋は北海道出身だ。けど、二人とも両親を早くに亡くして東京に出てきてから知り合ったから、結婚してからはほとんど帰ったことないはずだ。「北海道にはお前の小さい頃に帰ったきりだわね。もう一度くらいは帰ってみてもいいんだけどねぇ」っていう話を遠い昔に聞いた記憶がある。

 
 俺の様子を満足げに見ながらオバサンが言った。
「あっちにもほんの少し親戚が残っているのよ。私もその一人。私の名字は藤木っていうの。藤木って叔母さんの旧姓でしょ。遼クンが小さい頃、遊んであげたことだってあるのよ。それで遼クンのその後も叔母さんに時々聞いていたってわけ。思い出した?」
 オバサンが俺の顔をのぞき込む。
 いや全然思い出しません。けど、親戚だったのか。それなら小学校のあだ名を知っていてもおかしくないかもしれないが。でもどうして芙美子のことまで知っている?
「彼女のことまで知っていたのはなぜだ?」
 俺の声が少しかすれて、自分の声じゃないようだった。

 
「んー、それはちょっと企業秘密? 全然大丈夫よ。明日のデートの後に詳しく教えてあげる。だからね、一緒に行こう?」
 なんだかカチンときて思わず言ってしまった。
「その話し方、どうして語尾を上げるんですか? それからデートなんてお断りです!」
 『全然大丈夫』って何なんだよ。全然の後は否定語だろうが。小学校で習わなかったのかよ!
 俺は心の中で悪態をつきまくった。

 
 一方、オバサンは目に見えてうろたえていた。
「あー、コレ……うーん、ごめんね、ちょっと私の住んでいる辺りで流行ってて……『全然大丈夫』も気になるよね……デートの時は気をつけるよ。明日十一時でいい?」

 
 いや、そんなこと言ってんじゃない。きっぱり断っただろうが。何聞いてんだよ!
「明日は予定があります。明後日も」
「そんなこと言わないで。お願い、明日だけで良いのよ?……あ、しまった、また語尾あげちゃった」
「いや、この場合はいいんじゃないですか? 疑問形として……って、そんなこと言いたいんじゃない!」
「あはは、明日の件は本当にお願い! お願いします! 私、ホラ、北海道から出てきたばかりなのよ。だからこの辺全然わからないし、親戚の道案内だと思って。それが終わったらもう絶対に迷惑かけない。約束します。
 明日デートが終わるときに、遼クンの不思議に思っていることすべて答えるから。だからっ……」
 いきなりオバサンが後ろを向いた。ん? 何だ? 泣いてる? まさか?

 
 はっきりいって、俺は明日つきあう気なんてさらさらなかった。泊まり込みの課題から帰ってきたばかりだし、芙美子と別れたばかりだし、むしゃくしゃするから久しぶりのツーリングに出掛けたかったんだ。なのに、何故オバサンは知らないも同然の親戚に頼るんだよ。なに泣いてるんだよ。何故芙美子のことまで知ってるんだよ。俺の中では「何故」がぐるぐる渦巻きを作っていた。

 
「もちろん、明日かかった費用はすべてお支払するわ。交通費に至るまですべて。私は親戚ですもんね、年上だし。こちらからお願いしたわけですからそこは心配しないで」
 オバサンの口調が急にビジネスライクになった。こっちがオバサンの本性かもな。
「……それに、いくら親戚だって恋人のことまで知ってるなんておかしい、と思ってない? もっと他にも知ってるかもしれないわよ? 言うこときいた方がいいとおもうなぁ」
 オバサンは向こうを向いたまま、静かにボソッと呟いた。
 なんだ、今度は脅迫か! 泣いてたんじゃないのかよ! 変わり身の早いオバサンだな!

 
「……終わったらきちんと説明してもらえるんですね?」
 俺は少しばかり面白くなってきていた。明日は予定がないといえなくもない。ツーリングにはいつでも行ける。
 泣いていたのは演技か、違うのか。他人も同然の年下の男に案内を頼むのはなぜか。どこにつれていくつもりなのか。俺のことを色々調べているのは何故か。どんな利益があるのか。俺のリスクはないのか。

 
 そんなことを考えていると、オバサンはいきなり振り返った。
 その顔がパッと眩しいほど輝いているのを見て、何故そんなうれしそうな顔するのか、何がそんなにうれしいのかわからなかった。
 でも胸の奥の方がチクンと疼いたんだ。だから気づかない振りをすることにした。オバサンの眼がほの暗い街灯の明かりを受けて、泣いたように光っていることも……。

 
「十一時に待ってるからね」
 うれしそうに繰り返すオバサンの声を背中に聞きながら、俺は部屋に帰ってきた。
 やけに疲れた……。

 
 冷蔵庫にはビールが一本だけ残っていた。
 シャワーに濡れた髪を拭きながら、俺はぼんやり考える。
 オバサンの目的はなんだろう。
 何故泣いていた?
 俺に金がないのは見りゃわかるだろうし、単に東京のガイドがほしいだけ?それだけであんな時間に待ち伏せ(やっぱりしていたんだろうな……)までするか、普通。泣くほどツアコンしてほしかった? そんなばかな。
 それに親戚ったって一度会ったきりだろ。……わからん……。
 名字は藤木だって聞いたけど、下の名前は聞いてない。お袋の親戚みたいだし、明日の朝、電話かけて聞いてみるか。何かわかるだろう。
 芙美子のことも知っていたみたいだった。別れたことも知っているんだろうか? そんなこと調べてどうするんだ? どんな得があるんだ?

 
 なにか理由があるんだ。俺を明日一日拘束する理由が。そいつを見つけて、イニチアシブをとらなきゃなあ……。

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