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茶碗

桐原草さんは「ゴミ捨て場」で 登場人物が「浮かび上がる」、「雨」という単語を使った怪談を考えてください。

――駅を出て、目印の柳を曲がるとすぐそこだ。来てくれたまえ。

 高校卒業以来音信不通になっている高柳から、そのようにしたためられた手紙をもらったのは、冬の寒さもそろそろ薄らいでこようかという三月如月、桃の節句の時分であった。
 丁度契約の仕事が一区切りついて、さて来月からどうしよう、と思案していた頃であるから妙に感慨深くその手紙を見たのを覚えている。
 しかしながらそのような手紙を受け取ったところで、高柳の最寄りの駅はおろか、住所も知らないのであるから、致し方がない。高校の同級生の名簿もどこかに散逸してしまった。
 心残りではあるが縁なき物と諦めて、その日その日を過ごしているうちにいつしか手紙のことは失念していた。

 その日は新しい注文が決まりそうなので、私は少しばかり浮かれた気分で、新しい靴下なんぞをはき下ろして、意気揚々と相手先に向かっていた。別段穴が開いているわけでもないのに靴下を下ろすのは少々気がとがめたが、もし先方で靴を脱ぐようなことがあっては申し訳が立たぬと、ことさら気を奮い起こしたものである。
 私の商いというものは、客の注文に応じて茶碗やら皿やらを制作するというもので、注文がなくては始まらない。
 注文が切れてくるといつも胃がきりきりと痛むような心持ちがして、他の商いに鞍替えしてはどうか、そういえば駅前の商店に張り紙があったなどと、いらぬ事ばかり考えがちになるものであるが、不思議なもので、商店の張り紙を破いて店主に談判をしに行く前に、どこかしらから声がかかり、新しい茶碗に取りかかることになっている。
 注文は、新しく食べ物屋を開くのでその茶碗と皿など一切合切を作ってほしいというものが多いが、時折豪気なお方もいるもので、今回のように、新築したので記念に家族の使う食器を一揃い作ってほしいといった注文が入ることもある。
 このような商いをしているのだから、本来は客のえり好みなどは出来るものではない。私ももちろん客をふるい分けようというものではないが、まず話を聞き、どのようなものを作るか頭の中にわいてくるものがなければ、残念ながらお断りさせていただく事もある。
 何分にも相手方との相性といったものが大事であると考えているので、あまりにも気に沿わぬお方とのつきあいはお互いにとって不幸でしかないからだ。
 そんなこんなで、その日も新しい注文主の自宅に寄らせていただき、どのようなものを望んでいるのかを確かめるべく、よく知らない駅に降り立ったのである。
 大事な商談であるから新しい靴下を下ろすくらいはやぶさかではないが、この日はあいにくの雨で、すり切れかけた革靴は先ほどから水がしみてきているようだ。こんな事ではせっかくの靴下も、相手方の新築の家に水跡をつけてかえって不快を招きかねないと、私は少々焦りを感じ始めていた。

 しかしながら、駅の改札を出て荷物を確かめてみると、相手の住所やら電話番号やらを書き記した手帳がどこにも見当たらないではないか。慌てていたつもりはないが、家に忘れてきたものと見える。
 天涯孤独の、一人暮らしの身の上であるので、家人に頼むという手段に頼るわけにも行かず、私は途方に暮れた面持ちで辺りを見渡していた。
 記憶にあるのは相手方の名字と名前のみ。駅前に交番でもあれば尋ねることも出来そうなものであるが、あいにく見当たらない。
 いよいよこれは困ったことになったぞと思ったが、立っていてもらちがあかないので駅前に何軒かある商店で聞いてみることにした。先方は由緒正しい、何代も続いた家柄だと聞いていたので、もしや誰ぞしっている者があるやもしれんと考えたのである。

 まずは、古ぼけた漬け物屋に入って、そこのばあさんに聞いてみることにした。沢庵の樽の前で三年前から座っていたような風情のばあさんに声をかける。
 こういう事情でこういう名前の人を探しています、と順序立ててしゃべっているうちにばあさんの顔つきが変わってきた。
 ばあさんによるとこうである。

 そういう名前の人はこの町に確かにいた。古くから代々続いた名家であるが、残念ながら女腹で、生まれるのは皆女の子ばかり。それで婿をもらって跡取りとするのが慣例である。私の尋ねた名前はその婿の名前である。
 五年前に婿がきまり、盛大に婚姻が執り行われたが、その後不幸続きで両親係累めぼしい者は皆死に絶えてしまった。後に残されたのは古びた豪邸と娘たち新婚夫婦のみであるが、あまりに続く不幸に娘が厄払いだと言って家を取り壊し、すべて新しく建て替えた。
 しかし不幸はどこまでも続くもので、新築の家が完成したのでお披露目をと言っているうちに、先月火事を出し、若夫婦もろとも焼けてしまったらしい。
 このあたりのものは皆、あの結婚がいけなかったのだと言っているようだ。
「仲むつまじく見えたんですけどねえ」
と、漬け物屋のばあさんは話を締めくくった。

 店の外を窺うと、雨はあがっていた。
 思いもよらぬ長話になってしまったが、これ以上ここにいても仕方あるまい。私は小さな漬け物の包みを一つ、話のお代がわりに購うと、ばあさんに教えてもらった家に行ってみることにした。
 先日電話で受けた取引先がそこの家と決まったものでもないが、手帳を持ってきていないことであるし、連絡の取りようもないので、これも何かの縁であろうと一度行ってみることにしたのである。
 思いついて自動販売機でカップ酒を一つ買ってきた。土産はこれと漬け物で十分であろう。

 ばあさんに教えてもらった道は一本道であったのですぐわかった。突き当たりに見事な柳の木が、青々とした葉を風になびかせている。その下を通って道なりに曲がっていくと、こげた匂いがかすかに漂ってきて、焼け跡が無残に残ったままの崩れた家が現れた。
 なるほど、これは無残に焼けただれている。ばあさんの話によると相続でもめていて、まだ後片付けも十分に出来ていないとのこと。

 亡くなってからもまだまだ大変なことでありますなあ、と手を合わせてから、カップ酒をあけて、足下の砂にほんの少し撒いておいた。むろん供養のつもりである。
 庭石であったろう大きな石の上に腰を落ち着け、残った酒を飲んでから帰ることにした。
 こうしてみるとたいそうな大きさのお屋敷である。そこがこのように荒れ果てているのは、関係ないとはいえ見るに忍びない気がする。

 もう一度酒を地面に撒いてさあ帰ろうかと立ち上がると、そこに高柳が立っていた。
「高柳じゃないか、どうしたんだこんなところで」
 私がそう言うと、高柳は少し寂しそうな顔をしながら、
「俺の家はここだよ。供養してくれてありがとうな」
と、昔ながらの所在ない様子で言った。
 高柳は昔から話している相手の顔を見ないという癖のあった男なのである。
「ここって、おまえ……」
 言いかけて気がついたことがある。高柳の体がどことなく透けており、向こうの焼け跡が所々見えるようなのである。そういえば、どことなくふわふわと、浮かんでいるような感じがする。
「おまえ、ここの婿になっていたのか」
 私は確かめるように高柳の顔を見る。昔からひな人形のように整った顔であったが、今はいっそう白く透き通って寂しそうな影をたたえている。
「家が完成したら、妻の分と俺の分の茶碗を、おまえに作ってもらいたかったんだ」
 ああ、と私はすべての得心がいった気がした。

 あの住所も何も書いていない手紙のこと、用件だけ伝えて訪問の日取りだけ打ち合わせるとすぐ切れてしまった電話のこと。電話口で聞いていた名前は名字は違っていたが、下の名前は高柳、おまえのものと同じだった。それで覚えていたのだ。
「わかった作らせてもらうよ。柄はどうする?」
 私は努めて普通の商談のように進めることにした。
 高柳はうれしそうに、
「妻は桃の花が好きだから、それにしようと思っていたんだ」
と、告げた。
 高柳の妻君であるからきっと美しいのだろう。結婚式は雛人形のように、似合いの二人であったことだろう。私の目の前にその様子が見える気がした。
「桃の花か。それじゃ、桃の節句のように人形も描かせてもらうよ。お内裏様の夫婦茶碗に桃の花なんていいんじゃないのか?」
 私がそう言うと、高柳は心底うれしそうに、初めて私の顔を見た。
「それはいい。それがいい」
 その高柳の顔を見ていたら、こちらまでうれしくなってくるような心持ちになった。
「心を込めて作らせてもらうよ。おまえたちの結婚祝いしてなかったからな」
「ありがとう」
 高柳の影は最後にそうつぶやくと、笑い顔をこちらに向けたまま消えてしまった。

「高柳、おまえ、本当に奥さんのこと好きだったんだな」
 私はほんの少し残った酒を最後の一滴まで地面に空けて、もう一度手を合わせてから、駅に向かって歩いて行った。
 駅のゴミ捨て場にカップ酒の容器を投げ捨てると、カランと小気味のいい音が返ってきた。



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