漆黒の鷹漆黒の鷹

第二章 十市(とおち)
8 神殿にて

 村の入り口はその場まで行かないとわからなかった。両側から森に圧迫されて道が狭くなり二人で通るにも窮屈になってきたとき、大きな鳥がバタバタと羽ばたくような音がして、それは唐突に現れた。
 赤く塗られた木の門、それが見渡せる限りの奥まで続いていた。鳥居、というらしい。細い道を縁取るようにどこまでも続いている。
「蛇の腹の中を潜っていくみたいだなあ」
 とぶつぶついいながら十市を見ると、十市も目にするのは初めてらしく大きな目を真ん丸にして鳥居を見上げていた。
 目があうと、みるみるうちに表情がほどけてふっくらした唇の間から歯がこぼれる。やはり緊張しているのだろう。
 なんだかまぶしくて目を反らしてしまう。聞いたことのない鳥の鳴き声が、どこか近くで聞こえた。
「どこまで続いているのでしょう」
 その声が不安そうだったので高市は思わず手をさしのべてしまった。初めて取った十市の手は、しっとりと柔らかでとても小さかった。
 あまり強く握りしめてしまうとつぶれてしまいそうだ。気をつけて、そうっと包み込むようにして手をつなぐ。
「行くぞ」とうながすと、「はい」と穏やかな優しいいつもの声が返ってきたので、高市は先に立って鳥居をくぐった。

 何十本、何百本と続く鳥居を通り過ぎたような気がする。もう終わらないのではないかと思い始めた頃、急に目の前が明るく開けた。
「すげえ……」
 高市の口から思わず小さな吐息がこぼれ落ちた。
 瓦が赤い。格子に組んだ窓の飾りも目の覚めるような朱色。柱や骨組みは真っ黒に塗り分けられている。真新しい白い漆喰の壁。赤、黒、白のみの荘厳な建物がいきなり出現した。
 これが神殿か。村にある小さなほこらとはけた違いだ。これだけのものを作るのにどれだけの労力がかけられているのだろう。できあがってまだ数年しか経っていないようにみえる。

 二人がただ黙って神殿を見上げていると、ギギッと音を立てて朱塗りの格子戸が開いた。その奥の暗がりから、白い着物と白いマントを着た女性がすっと出てきて、入り口に三段ほど積まれた石段の上に立ってこちらを見ている。
 高市は慌ててつないでいた手をふりほどいた。
 女性は十市を知っているらしく、にっこりほほえんだ。
「いらっしゃい、十市。そちらは?」
 十市は深々と頭を垂れて巫女への礼をとった。
「お久しゅうございます、巫女様。道に迷って困っているところを、鷹が連れて帰りました、高市でございます」
 鷹は十市にそういう話をしていたのか。そういえば高市からは十市に言っていなかった、どうしてここに来たのか。
 ――鷹にさらわれてきたって言ったら十市はどんな顔をするだろう。
 高市は知りたいような、知りたくないような、不可解な気持ちをもてあましていた
 。
 巫女と十市の会話は続いている。
「しばらく鷹にはお会いしていませんが、お元気ですか?」
「ええ、毎日忙しくしております。今日は、鷹と高市の獲物の鹿をお届けにあがりました」
「まあ、それは素敵です。早速氷室に入れておきましょう」
 ――ヒムロってなんだろう、村にあった岩屋のようなものかな。
 いつもひんやり冷たかった洞窟を高市は思い出していた。

 お部屋でお休みくださいということになって、巫女は二人を案内するため、先に立って奥の暗がりに向かった。高市と十市もあわてて後に続く。
 暗がりを奥に奥にと進みながら巫女は話し続けた。
「十市、貴女はますますお母様に似てきましたね。さっき表であなた方を見たとき、鷹と額田(ぬかた)様が立ってらっしゃるのかと思ってドキッといたしました。そちらの高市も、まだ黒人(くろひと)と呼ばれていた頃の鷹にどことなく面差しが似ていて、まるで二人が帰ってきたのかと思いましたよ」
 道で聞いていた、十市の母ちゃんと鷹の話だ。二人は幼なじみで仲が良かったらしい。十市に似ているのならさぞかし綺麗なひとだったんだろう。
「鷹もここに住んでいたんですか?」
「いいえ、この神殿は選ばれた者しか入ることは出来ないのです。ですけど、額田様が神殿に入られてからも、黒人はよく忍んできておりましたからね。皆で二人を温かく見守っていたのですよ」
 さあ着きましたよ、と通されたのは何十人も入ることの出来るほどの大広間であった。
 正面に黒い鷹と白い鷺の描かれた掛け軸が飾ってある。金糸銀糸で縁取られとても立派なものだ。掛け軸の下だけふかふかの座布団を一つ敷いた畳張りになっており、他は磨き上げられた板張りの床だ。
「もうすぐ大巫女様がいらっしゃいます。ご挨拶してくださいね」
 巫女はそう言うと、微笑みを残して部屋を出て行った。そのマントの後ろ姿を見送っていた高市は、ふと気になって十市に尋ねた。
「もしかしてあのマントの下は羽が生えているのか?」
 まさかそんなことはあるまい、と思いながら聞いたのに、十市の答えはその考えを否定するものだった。
「はい、女性は巫女様、男性は覡(げき)様です。」
 ――この村の奴らはみんな羽が生えているんだろうか、じゃあなぜ十市には生えてないんだろう。
 高市の顔が変に見えたのか、十市がくすくす笑った。
「神殿には翼のある巫女様や覡様だけですけど、村は翼のない方ばかりらしいですよ。村にはたくさんの人がいらっしゃるという話です」
「さっきの巫女さんは白いマント着てたけど白い羽なのか?」
 ――この村は変だ。翼のある人間がごろごろいるなんて。
 高市は混乱していたが、なんとか十市にそれを気取られないように頑張ろうとしていた。幸い十市も不審には思わなかったようで、笑い顔のまま答えてくれた。
「ええ、黒い翼は鷹だけなのです」

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