漆黒の鷹漆黒の鷹

第二章 十市(とおち)
9 大巫女様

 そのとき軽い衣擦れの音とともに、さっきの巫女よりももっと上等な白い衣装を身にまとった女性が現れた。そしてその後ろには高市よりすこし年上であろう年格好の青年がいた。
「大巫女様……?」
 十市が問いかけるより早く、女性は十市のもとに駆けるように走りより、十市の両手を握りしめた。
「十市、本当に十市なのですね。まあ、本当に額田様にそっくり……」
 涙ぐんでいる女性の背後から音もなく青年が近づいてきた。
「大巫女様、この方が十市殿なのですか」
――男とは思えないくらい整った顔立ちだ。この顔から出るとどんな言葉でも爽やかに聞こえるな。
 そう思いながら高市は傍らの十市をそっと盗み見ると、十市は大巫女に抱きしめられて身動き取れなくなっていた。困り切った表情で、助けを求めるように高市を見ている。
「ああ、大友様。取り乱してしまって申し訳ありません。こちらが先刻お話しいたしました十市でございます」
 大巫女は十市に回した腕をようやく緩めて、背後に来ていた、自分の子供といってもいいくらいの歳の青年に向かってうやうやしく返事をした。
「かまいません、大巫女様。どうしても十市殿にお目にかかりたいと無理を申し上げたのはこちらですから」
 大友と呼ばれた青年は十市に向き直ると深々と礼をした。
「十市殿、初めてお目にかかります。村の相談役をしております大友と申します。十市殿がいらっしゃっているとうかがって、矢も楯もたまらず大巫女様にお願いして同席を許していただきました。ご無礼をお許しください」
 完璧な挨拶、礼を取る美しい所作、爽やかな目鼻立ち。どれをとっても非の打ち所のない青年に、高市は心の内でほんの少し反発心が湧いてくるのを感じていた。
 大巫女の呪縛から放たれた十市は、夢から覚めたように挨拶する。
「大巫女様、大友様、はじめまして。十市でございます。こちらは、しばらく前より私たちと暮らしております、高市と申します。どうぞよろしくお願いいたします」
 そういって十市が頭を下げたので高市も頭を下げておく。大友の口元が、気にくわないとでもいうようにほんの少し歪んだのを、高市は見逃さなかった。
 大巫女はそんなことにはお構いなく、十市の手をとって掛け軸の方へ誘う。男二人も、その後ろに付き従うようについて行きながら、一言も言葉を交わすことはなかった。

「ああ、やっと十市に会えました。貴女の小さい頃は一緒に遊んだのですよ。鷹に、会わせてくださいとお願いしていたのですがなかなか聞いてもらえず、つらかったのです」
 大巫女は十市の手を離そうとせず、心の底から嬉しそうな表情を浮かべている。
 その手を動かすことも出来ずに所在なさそうにしているのは、大巫女のとなりに座る十市だ。十市はこれだけ熱烈な歓迎をされるとは夢にも思っていなかったらしく、時おりどうしたらいいのでしょう、というようにすがるような目を高市に向けてくる。
「十市、私は貴女のお母様の額田様にとても親しくしていただいたのです。そのご恩をお返し出来ないうちにお亡くなりになってしまわれて、私どもはどれだけ嘆いたか。本来ならば額田様に大巫女になっていただきたかった……」
 四人は掛け軸の前で車座になって座っていた。大巫女に上座を勧めたのだが十市の手を取って離さなかったのだ。
 大巫女は十市の手を握ったまま、額田の事を思い出して涙ぐんでいる。
 十市は大巫女が母親の知り合いだということを聞かされ「おそれおおいことでございます」と消え入りそうな声を出していたが、涙ぐむ大巫女をみて思わずもらい泣きをしていた。
 高市があわてて涙を拭くものを探しているうちに、十市は手で涙を振り払い、何か決心したようにくいっと顔を上げた。
「大巫女様、私、お伺いしたいことがあります」
 十市の固い決意に満ちた言葉に、皆は一斉に彼女を見た。十市は恥ずかしそうに頬をほんのり染めながら、大巫女の瞳をもう一度のぞき込んだ。
「大巫女様、私のお父様はどなたなのかご存じでしょう? 鷹はどうして私を育ててくれているのでしょうか? 私にお母様とお父様のことをお教えください」

 しばらくは誰も口をきかなかった。沈黙がその場を支配する。
 高市が居心地悪く尻をもぞもぞさせかけたとき、大巫女が手を伸ばし十市の髪を愛しそうになでた。十市はくすぐったそうにほほえんだ。
「貴女ももう、そのようなことを考える年頃になったのですね。貴女のその仕草、額田様にそっくりですよ。五歳までしか一緒に暮らしていないはずなのに、お母様のお声や面差しを受け継いでいるのですね」
 懐かしさに少し潤んだような声で大巫女は語り始めた。
「貴女のお母様の額田様は、貴女にそっくりのそれはそれは可愛らしいお方でした。私はお母様が神殿に上がられてからしか存じ上げませんが、黒き鷹とは――その頃は黒人と呼ばれていましたが――昔からの幼なじみでしたよ。二人でいるときは本当に仲むつまじくて、皆も微笑みながら見守っておりました」
 高市がそっと伺うと、十市はほんの少し眉をひそめながら真剣な面持ちで聞き入っている。
「けれどもお母様は他の方に想われて、そのお方と添われました。黒き鷹も悲しんでいたようでしたが、こればかりは誰にもどうすることも出来なかったのです。しばらくして貴女が生まれ、額田様は本当に貴女をかわいがっておいででした」
 大巫女は目尻の涙をぬぐいながら続ける。
「そんなとき我らは攻め込まれました。相手はどこの者か解らず仕舞いでした。おおかた、我らが敵方に味方するのを防ごうと、先手を打って襲ってきた輩に違いありません」
 十市が息をのむ音が聞こえた。
 大巫女はその様子を眺め、「我らのかつての生業をご存じですか?」と、静かに問いかけた。
 十市が静かにかぶりを振る。大巫女は軽くうなずくと話を続けた。
「我らは戦において、乞われれば手を貸す、雇われ兵を生業にしておりました。黒き鷹が才を使って見えない敵を見つけ、聞こえない敵の作戦を聞きます。そして鷹の指示に従って白い翼を持つ白き鷺が空から動きます。神殿の巫女や覡は戦時には翼を持つ兵隊となり、雇い主である地上部隊と連携して敵を殲滅するのです。普通の人間にはない能力を使える我らは戦場で重宝され、あるときはこちら、またあるときはあちらというように味方する陣営を変えていましたので、恨みもかいやすかったのでしょう」
 十市は目を見開き、両手を口に当てて、大巫女の言葉に聞き入っている。
 高市だとて初めて聞く話ばかりで軽く混乱していた。そういうことであれば鷹があれほど強かったのもうなずける。そしてどこか諦めきった表情のわけも。
 大友だけは知っていた話ばかりであったのか、ただ静かに座って聞いていただけであった。
「いきなりの焼き討ちに遭い我らは逃げ惑いました。村はほとんど全滅、神殿も焼け落ち、貴女のお母様もそこでお亡くなりになったのです」
「では鷹の火傷もそのときの……」
 十市の震える言葉を聞きながら、高市は長い髪の影に隠れた、強い輝きを放つ鷹の黒い瞳を思い出していた。
「そうです。額田様を助けにいかれたのですが、間に合わず……。でもそれからの黒き鷹は見事でしたよ。生き残った皆を集め、長(おさ)の代わりにこの地を探し出し、我らの生活を作りあげられたのです。長もあの戦いでお亡くなりでしたから。我らが今在るのは、黒き鷹のおかげなのです」
「では、ではなぜ、皆様と一緒に、村で暮らさないのでしょうか?」
 大巫女は困ったように首を振った。
「黒き鷹のお考えは私には解りません。村のあらかたを決め終わると、幼い長の後見役をお決めになって、黒き鷹ご自身はあちらの丘の上で貴女との生活を望まれたのです。我らもそのとき以降は雇われ兵をやめ、世間の目から隠れるようにこの地でひっそりと生活しております」
「鷹は、時々一人で、お出かけになるのです。そのときはいつもひどいお怪我をして。神殿のお役目とは一体何なのでしょう?」
 十市は動揺している様子を隠そうともせず、ふるふると震える声で尋ねた。大巫女はそんな十市を心配そうに見やりながら、話を続ける。
「我らの生活を守ってくださっているのだと思います。村に何か不穏な動きをするものが近づいてくると、守りの者が鷹に知らせに行きますので。それにあの方しか遠耳と透見の才のある方はいらっしゃらないのですから」
「神殿の巫女様方には、その才のある方は、おられないのですか? 鷹だけが村を守らなくてはいけないのですか?」
 十市の目が大巫女にすがるように問いかけている。
「黒き翼を持てる者はいつも一人だけです。我ら巫女にあるのは白き翼のみ。空を飛ぶことしか出来ません。そして、それすらもあの災厄以降は生まれなくなってしまいました。神がお怒りなのかも知れません」
 大巫女は耐えられないというように身をよじりながら言葉を紡いでいる。
「大巫女様、それでは、それでは私のお父様は一体どなたなのでしょうか?」
 大巫女は一瞬言いよどんだ。十市、高市と目を泳がせていき、大友と目が合ったところですうっと息を吸い込むと、もう一度十市に向き直った。
「貴女は黒き鷹から何も知らされていないようですね。その方がいいのかも知れません。我らはこのまま消えてゆく運命なのかも……」
 そういって、耐えかねたように大巫女は涙をぬぐうと、「今日はこれで」と足早に立ち去ってしまった。

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