だから、待ってるからだから待ってるから

5 「アンタ、結婚しているのか?」

 「おいしーい!」
 そう言って本当に美味しそうに食べるくせに、皿の中の料理はいっこうに減らなかった。
「前に来たときは定休日だったのよね。だから食べるのは初めて。ほんっと美味しい!」
 遼クンは何回くらい来たの? 彼女と来たの? そのときは焼き林檎食べた? 彼女とどんな話するの?
 マシンガントークの女を無視して、俺は黙々と食べ続けた。
 気がついたら静かになっていたので、テーブルから顔をあげると、ぼうと俺を見つめているのと目があった。
 
「食べないのか?」
「うん……しゃべりすぎて疲れたみたい」
 俺は呆れて、俺たち兄弟が食卓で親父から毎日のように聞かされた言葉を言う。
「食事の最中は静かにして食事を楽しむものだ」
 
 それを聞いた途端、彼女は目を真ん丸にして、それからいきなり笑いだした。
「それっ、……ひさ、久しぶりに……聞いたぁ。……うけるぅ……」
 なんと涙まで流して笑い続けている。親父の口癖を久しぶり?
「なにがお嬢様の琴線に触れたんだ? アンタのことはさっぱりわからない」
 
 彼女は感情の読めない顔をしてしばらく固まっていた。
 それからおもむろに、
「アンタっていわないで。ペナルティ!
 今度から心の中でも祐子って呼ぶこと! どうせ遼クンのことだから、オバサンとか女とか、ひどい言葉で呼んでるんでしょう。お見通しなんだからね。はい、それじゃもう一度祐子って呼んでみて?」
 とまくしたてた。
 
 またなにかごまかしたな、とか、図星だよオバサン、とか心でつぶやきながら口を出たのは
「それなら、語尾をあげるのも次からペナルティだ」
 という言葉だけだった。
 
「焼き林檎おいしかったぁ。もう二時になっちゃったね。古本屋街に急ごう。戦争ものの本がいっぱいあるとこが良いな」
 艦長、どうして彼女は、俺が戦争ものを好きだって知っているのでしょうか!
 
 そして、俺たちは軍関係の本を集めている店に着いた。戦艦三笠や大和のポスター、駆逐艦の変遷を書いた本。俺は興奮していることを気づかれないようにしながら、チラチラ店内を物色していた。
 
 はっと気づくと、彼女が聖母マリア様のような微笑みで俺を眺めている。
「遼クン好きだねぇ、こういうの」
「悪いか?!」
「ううん、可愛い」
 艦長! こういうときはどうしたらいいのでありましょうかっ?!
 
 
 趣味を堪能して、満足感100%の余裕をみせて俺は聞いた。
「これからどうするんだ?」
「うふふー。お買い物につきあって欲しいんだけど」
「また?!」
「だって遼クンに選んで欲しいんだもん」
 
 ということで連れてこられたのは、隣の駅のジュエリーショップ。
「こんなところで俺が役に立つ訳ないだろうが!」
 一度も足を踏み入れたことすらない、宝石を見ると原価はタダの石なのに、と考えてしまうような俺にはこんな所場違いだ。と、訴えたのだが、あの女は聞く耳を持たなかった。
 あら、その考え方は改めた方がいいわよ。女の子にとっては、指輪を彼氏に選んでもらって贈ってもらうのは夢なんだから。と、かえってお説教される始末。
 
「こんな場所にジュエリーショップがあること、よく知ってたな」
「一度入ってみたかったのよ。いつも前を素通りするだけだったから。いいじゃない、私がお金出すんだから。それに将来役に立つわよ。彼女に素敵な指輪贈るときに」
 そう言って、腕を取られて店内に連れ込まれてしまった。
 
 だめだ、もしかして遊ばれている?
 
 
「アンタ、結婚しているのか?」
 左手の薬指に指輪がはまっていたから。いくら俺でも、その指輪の意味くらいは知っている。
「うふふ、気がついた? 結婚しているのです。だから安心して? 襲われる心配はないわよ、遼クン」
 彼女は左手をひらひらさせた。
 
「それなら、ソレ、俺が選ぶ必要なかったじゃないか。そいつに買ってもらえばいいだろ」
 俺は指輪の小さな紙袋を見ながら言った。俺を連れてきた意味は何だ?
 
「んー、言い出せなかった、ってところかな。あ、結婚はしてるよ。大丈夫。誤解しないでね」
 あまり旦那と仲がよくないとか? ま、俺の気にすることじゃないな。関係ない、関係ない。
 なんとか彼女のことを締め出そうとしてやっきになっている自分に気づいて、なんとなく不愉快だった。
 
 ゆっくりお散歩しながら駅まで戻ろう、という提案に従って夕闇が迫ってきた商店街を歩いていく。
 
「東京は初めてって言ってたけど、嘘だろう? さっきの店の前をいつも素通りするだけ、って言ってたもんな。それにロシア料理の店は俺の穴場なんだ。あまりガイドブックには載ってない」
「……そうだね、何度かきたことあるよ。遼クンとここに来たかったから、嘘ついちゃった。でも、方向音痴だからガイドがいるっていうのも本当。あの本屋の角を曲がったところが駅、っていうのはわかるけど、北とか南とかいわれたら全くわかんない」
 それはそんなに自信満々にいうようなことか? 艦長! この女を何とかしてください。
 
「ちょっとだけ本屋さんを見ていこう」
 店先のファッション雑誌を興味深そうにめくっている。
「こんなのが流行なんだぁ」
 俺も店内に入らず、マンガ雑誌をパラパラ見ていた。
 
 もういい、というので駅に向かう途中。
「『釣りバカ日誌』っていうマンガ知ってるか? アレに出てくるスーさんっていう上司が、俺らのゼミの教授に似ていて……」
 さっきみたマンガを思い出して世間話をはじめるつもりだったのに、彼女は俺を遮った。
「止めて、その名前呼ぶの!」
 
 ん?
 釣りバカ? スーさん?
「……ゴメンね、大きな声出して」
「スーさんがいやなのか?」
 彼女が頷くだけだったので、俺もそれ以上突っ込まなかった。しかし、何か引っかかるものを感じていた。

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