だから、待ってるから
―――彼氏がいるって言ったでしょう、入社して1年目の研修の時に知り合ったの。ウチの会社は1年間、いろんな支店のいろんな部署を回って研修するのよ。彼とは大阪に来た時に知り合ったの。
北海道に住んでいるというのも嘘だったんだな、長くなりそうな告白を聞きながら、俺はそう思った。
―――本配属は彼が東京、私が大阪。
そうなってからお互いなんとなく気が合うかも、と思い出して、ときどき遊びに行ったりするようになったの。
―――でも、東京と大阪でしょ、会うのは一ヶ月に一回くらいよね。それに正式に申し込んだり、告白したりってこともなかったから、つきあってるのか、つきあってないのか、よくわからなかったわ。
―――もちろんプラトニックよ。キスしたりくらいはあったかもね。
うふふ。
「それで10年。アンタらすごいなぁ、信じられない」
思わず声に出してしまった。
「ふふ、遼クンがそんなこと言うなんて」
彼女は本当に楽しそうに笑った。
―――ま、私の両親があまり乗り気じゃなかったのもあるし。あの人たちにとっては、東京は遠いから。お嬢さんだったしね、といって彼女は微笑んだ。
―――私の配属は総務で、東京の総務と連絡を取ることも多かったの。そんなときは研修中に仲良くなった、同期の女性に連絡してた。彼女は、私と彼が仲の良いことも知っていて、彼とも時々しゃべったりしているみたいだった。
―――その総務の同期が教えてくれたの。私たちが入社して4年目くらいかな。技術課にスターシャみたいな、すっごい美人が入社したわよって。
―――遼クンも好きでしょ? 宇宙戦艦ヤマトに出てくる美人さんよ。
その美人は鈴木っていう名前で、実は私と同じ。藤木が苗字っていうのも嘘だったの、ごめんね。
それで、みんなからスゥちゃんって呼ばれているんだって。それも私と同じ。鈴木なんてありふれた名前だから、愛称もそうなるのよね。
『釣りバカ日誌』のスーさんもな、声に出さずに俺は応える。
―――私の彼は初めてヤマトを観たときからスターシャの大ファン。声も顔も大好きなんだって。遼クンみたいね、彼女はふふふと笑った。
なぜそんなことを知っている、と俺ももうお決まりとなったリアクションを返す。
―――スターシャみたいなスゥちゃんのこと、今から思えばそのときに聞いておけばよかったのかも。そうすればこんなに引っ張らずにすんだかもね。
―――他人に聞かれれば私たち付き合っていませんと答える。けれど月に1回くらいは会う。会えばとても気があって楽しくて。そんな関係を9年続けてもう31歳になったの。
―――ウチの両親が怒り出しちゃって。
彼女は少し疲れたように言った。
本当は私も少し疲れちゃっていたのかも。
ささやくように彼女が言った。
―――相手に会わせなさい、ご両親にもご連絡しなさい、って。そこからはトントン拍子に進んだわ。結婚式まで一直線よ。
―――でもね
彼女は打ち明け話をするみたいに声を潜めた。
あの人と私の気持ちはついていかなかったみたいなの。ううん、私の気持ちだけかもね。
―――スターシャのスゥちゃんのこと、結婚してからも聞けなかったの。バカでしょ。
なぜか彼女が急に小さく見えた。
「でも結婚して幸せだったんだろ?」
俺は彼女のうつむいた首筋を見ながら言った。
―――もちろん。彼はいろんな所へ連れていってくれた。毎日忙しくて、夜も遅いし、出張も多いけど、お休みはできるだけやすんで一緒にいてくれた。
古本屋街もよく行ったわよ、と彼女はいたずらっぽく笑った。
優しい男でしょ、とも。
―――でも、オンナノコの気持ちに疎いところは減点よね。
この結婚指輪だって、私一人で買いに行ったのよ。お揃いで買ったのに彼はつけてくれなかったし。恥ずかしいんだって。
なんだか俺は自分のことを言われているような気になって、すみませんと謝りそうだった。
―――プロポーズの言葉もなかったし。
まあ、こっちが押しきって結婚してもらったようなもんだから仕方ないんだけどね。
―――一番悲しかったのは、結婚しても私のことをスゥちゃん、って呼ぶこと。もう名字も変わってるのに。鈴木じゃないのにね。
それだけはやめてっていっても、かわいいし気に入ってるんだよ、って笑っておしまい。
「それでどうなったんだ?」
なぜか黙っていられなくて俺は聞いた。
「ん。幸せな結婚生活が続いたわよ、5月24日までね」
「昨日? なにがあったんだ? 昨日に」
「うーん、正確には2011年5月24日ね。事故に遭ったのよ。もうすぐ死ぬと思う」