だから、待ってるから
なにも言えないでいる俺を尻目に、彼女は淡々と続けた。
「彼の誕生日が5月25日でね。でも彼は2週間の出張中。ま、よくあることよ。そんなことじゃへこたれません。
ただ、夜中の日付が変わるときに、急にケーキが食べたくなってね。コンビニに買いに行ったのよ」
こっちでも、コンビニ増えてきているみたいね。2011年には街に3つも4つもあるわよ。そういって彼女はクスリと笑った。
「信号のない商店街の道路でひき逃げされちゃった。ついてないわよね。300円ほどのケーキが食べたかったおかげで、死んじゃうなんて」
正確にはまだ死んでないんだけどね、と彼女はペロリと舌を出した。
「それで?」
俺は自分の声が、どこか遠くから聞こえているような気がした。
「それでね、気づいたら遼クンの下宿の前だったのよ」
俺はすっかり黙ってしまった。
そのかわり彼女が話し続ける。
「クレジットカードも、銀行のカードも使えてね。期限の切れたカードはダメだけど、期限がまだ来てないカードは使えるのかしらね」
楽しそうに彼女が笑う。
「そんなわけで開店と同時に、百貨店でこの洋服を買っておめかししたの。あわてて買ったわりにはいいでしょ?」
「遼クンの洋服も買ったわよね。あ、使えるお金でその洋服買ったからね。朝になっても消えないと思う。大事にしてね」
「食べたかった焼き林檎も食べたし。実はもう閉店しちゃったのよ、あのお店。前の彼女と来たんでしょ、なんとなくわかるのよね、オンナの勘ってやつ。だから一度行って見たかったんだ」
「指輪も選んでもらったし。うれしかったなぁ。選んでもらった指輪をはめてもらうときなんて、真っ赤な顔してるんだもん。笑いをこらえるのに必死よ」
練習しなさいよ、これからも必要になるかもよ、と笑いながら彼女が言う。
「何故ここに来たんだ? どうやって?」
俺は声を振り絞った。
「さあ、わからない。
彼がベッドに駆けつけてくれて、必死で呼んでくれるんだけど、どうにも意識が戻らなくてね。
一日で良いから彼と一緒にいたい、彼に伝えたいことがあるの。そうやって何度も何度もお願いしたら、気がついたら、遼クンの下宿の前だったのよ。
神様って本当にいて、最期の願いは叶えてくれるのかもしれないわね。信ずるものは救われる、よ。遼クン」
「これからどうなるんだ?」
「うーん、2011年に戻って死ぬんじゃないかなぁ。わかんないけど。
それで、遼クンの記憶を消してくださいってお願いしておくから、きっと、遼クンの私に関する記憶は消えると思うわよ。たぶんね」
買った洋服はどうなるのかなぁ。朝起きて、見たことないホテルの一室で、見たことない洋服着ていたら、ホラーよねぇ。
のんきに彼女は呟いている。
もうすぐ12時になるわね、と彼女が言う。
たぶん12時でおしまい。
だからね、
「最後にこれだけは言っておきたかったの。
本当は入社して、初めてあったときから好きだったの。
結婚してくれてありがとう。
私が好きになっていくのと同じように、あなたも私を好きになってくれているのも解ってた。
楽しいときをありがとう。
言葉が足りなくてごめんなさい。
大好きでした」
そういって、彼女は消えてしまった。
そしてそこから俺の記憶も途絶えた。