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大根の花

桐原草さんの本日のお題は「説明」、季節感のある作品を創作しましょう。補助要素は「早朝」です。

 一週間ほど前に新しいプロジェクトが発表されて、そのメンバーに選ばれることができた。自分で立候補したのだから頑張らないといけない。その日も、やっとの事でノルマを片付けて自宅のワンルームまでたどり着き、無機質なドアの鍵を開けたら、そこに修くんが立っていた。
 
 修くんは帰りが遅い私を少し責めるような目でじっと見ている。私はびっくりしたのを声に出さないように、何気ない口調で「あれえ、来てたんだあ」と、おどけて言った。
 いつものようにおかえりのキスを待っていたのに、修くんはふいとキッチンに行ってしまう。私は慌てて五センチヒールを脱ぎ捨てて、修くんの後を追いかけた。

 私がキッチンに入っていくと、こちらにおいでというように修くんが手招きする。何を言われるんだろうと、私はおそるおそる近づいていった。
 修くんは少し悲しそうな顔で足下を指さした。そこにはまるまるとした大根が一本転がっている。
「うわあ、葉っぱ生えてきちゃったね、気づかなかったよ」
 雰囲気を和らげようと、私は精一杯のおどけた声を出す。
「俺が買ってきたヤツだろ?」
 私がうなずくと、修くんは私の目をじっと見つめながら、
「おまえ、飯作ってないんだろ。あんなに食事作るの好きだったくせに」
と、いつものお説教モード。
「えへへ、あったかくなってきたから葉っぱ生えてきちゃったんだねえ。修くんが食べてくれるなら今からでも作るよ。何がいい?」
 私は椅子に掛けてあったエプロンを取り上げて流しにむかったけれど、修くんはさりげなく片手をあげて私を引き留めた。
「俺はいいよ。おまえだよ。最近仕事ばっかりして全然体に気を使ってないだろうが」
「うーん、コンビニのお弁当は食べてるよ。時々課のみんなと食べに行ったりもしてるし」
 心配ないよと言いたかったのだけれど、修くんは汚れたグラスで一杯の洗い場の中や、つぶれた缶ビールがいくつも転がっているせいで汚れの溜まった調理台をじっと見ていた。
 これは、本格的にまずったかも。話題を変えなくちゃ。私はさりげなく修くんをダイニングテーブルに誘導する。

「駅前ショッピングセンターのプロジェクトが本格的に立ちあがったんだよ」
 そういうと修くんは思ったとおり食いついてきた。
「おお、ホントか。認可が下りたのか?」
「一週間前にね。今、書類回してるところ」
「大変だったもんな。あそこの地主が特に……」
 修くんはしみじみとうなずいている。ああ、いつもの修くんだ。うれしくなってしまう。私は缶ビールとコップをテーブルに置いた。
「修くん、このプロジェクト、頑張ってたもんね」
「そりゃそうさ。これが取れたら――」
 修くんはそう言ったきり、目の前のコップをじっと見つめて何も言わなくなってしまった。

「えへへ、うちの課にも応援要請がきたから、立候補しちゃった。私もこのプロジェクトの設計担当者でーす」
 私は思いきりおどけて、右手を高々と差し上げて見せた。
「このプロジェクトと心中する覚悟で頑張ります!」
「馬鹿野郎、仕事と心中するなんて言うな。そこまでの価値はねえよ」
 修くんはそう言いながらも、どこかうれしそうな目をして私を見てくれた。私の気持ちをわかってくれたのかな。私もこの仕事が出来てうれしいよ、修くん。にっこりほほえんでいたら、修くんがにやっと笑った。
「でも心配だなあ。俺が抜けたから営業の後釜は河原だろう? おまえと河原って、相性最悪じゃん。あのきっちりした河原とやっていけるのか、おまえ?」
「うう、それを言わないで。実は今日もうっかりミスをしそうになって、今まで残業してたのよ」
 課長のチェックがなかったらワンフロア足りないまま提出してしまうところだったと言うと、修くんは大げさにため息をついた。
「おまえのうっかりは筋金入りだからな。俺の取ってきた仕事なんだからな、いいもの作ってくれよ」
「はいっ! 頑張ります!」
 立ち上がった拍子に椅子を倒して夜中に物音を立ててしまい、また修くんはため息をついた。

 その日から修くんは、私が帰宅するといつも出迎えてくれるようになった。夜中に帰宅しても誰かと話が出来るのはうれしい。私がそう言うと、修くんはうら若き女性がおっさんくさいこと言うな、とまたお説教モードだったけれど。

「ねえねえ、みてー。大根から生えてきた葉っぱがこんなに伸びてる」
「見に行かないよ。そんなになるまで使わないなんて、大根がかわいそうだろうが」
「ごめんね、せっかく修くんが買ってきてくれたのに」
「土に埋めれば花も咲くんじゃねえ?」
「ほんとだね。大根からこんなに生き生きした葉っぱが生えるなんて知らなかった」
「おまえ、小さな観葉植物の鉢でもすぐ枯らしてたもんな」
「それを言われると一言もありません……」
「そんなことで騒いでないで早く寝ろ」
 そう言われても、私は眠っている時間がもったいなくて、目をこすりながらも夜更かししておしゃべりして、また修くんにお小言を食らったのだった。

「うわあー、花が咲いてる。ねえ、修くん、大根の葉っぱに花が咲いてるよ。見てごらんよ」
 残業続きで家のことは何も出来ず、ついに青々と茂った大根に花まで咲いてしまった。修くんが夜に出迎えてくれるようになってからまた一週間が経っていた。さすがに缶ビールの空き缶は捨て、グラスは片付けたけれど、食事を作ることはしないままだった。
「花が咲いちゃったか。おまえいったいどんな生活してるんだよ」
「うーん、……最近、生活はあんまりがんばってないかも」
「でも酒ばっかり飲むのはやめたんだな。感心、感心」
「だって、修くんがうるさいから……」
 なにぃ、と目をむいて怒る修くんから逃げながらも私は幸せだった。仕事が忙しくても、毎日こうして修くんに出迎えてもらえたら乗り切れる気がしていた。
 修くんは大根の花の前で座り込んで何か考えている。なぜか声をかけることが出来ずに、私はその背中をじっと見つめていた。

 突然、修くんは立ち上がってこちらを振り向いた。
「あのな、明日の朝、宅急便が届くから。お前なら、受け取っても大丈夫だな」
 宅急便? 何のことやらわからずにうなずくと、修くんはほっとしたように笑った。
「この大根は処分するんだぞ。俺はもうここには来られないから」
「どういうこと?」
 私は震える声で聞き返す。
「宅急便をおまえに渡さないようにここに来たんだけどな」
 修くんは悲しそうに大根の花を掴もうとした。が、その手は花を通り過ぎて空を掴むばかりだった。
「この通り、触ることも出来やしない。おまえはそれを受け止めても大丈夫だと信じてる」
 修くんは私をじっと見ている。私は何も言えずに黙っていた。
「おまえのうっかりが心配だよ。俺を成仏させてやってくれよ」
 修くんがまたふざけた調子に戻ったので、私も調子を合わせた。
「やあよ、四十九日だってまだじゃない。まだまだ安心させてやらないわよ」
 私がそう言っているのに、修くんは嬉しそうに笑い声を上げながら消えてしまった。「明日は誕生日だな、おめでとう」という言葉を残して。床には花の咲いた大根が残されていた。

 土曜日の朝になった。私は昨晩、言われたとおりに大根を処分し、花だけコップに挿さした。そのままどうやら一晩中、ぼんやり花を眺めていたらしい。
 コーヒーでも沸かそうと、コーヒーメーカーをセットしていると呼び鈴が鳴った。
 宅急便のお兄さんがスマイル0円の笑顔ではんこを求めている。が、送り主の名前を見たとたん、私はひったくるようにお兄さんから荷物を奪った。朝一番の便で届いたそれは、送り主が修くんの名前になっていた。

 私はいつも通り会社に通っている。
 朝起きて、顔を洗って、化粧水をはたいて、手抜きメイクをチャチャッと済ませる。慌ただしくトーストとコーヒーを流し込み、スーツと五センチヒールの戦闘服に着替える。ドアの外に出てから首だけ室内を覗いて、きちんと戸締まりを確かめる。確認終了。電車に間に合うようにあわてて走り出す。
 なにもかもいつも通り、いつも通り、いつも通り。
 ただ、いつも通りの室内確認作業の最後に、玄関の靴箱の上に目をやる工程が増えた。
 あの日の宅急便で送られてきたエメラルドの指輪。五月の誕生石。
 
 修くん、いつかまた会いたいね。
 あの仕事も着々と進んでいるよ。修くんが営業してくれて取ってきてくれた仕事。私たち設計チームも頑張って図面を書いたから、もうすぐできあがりそうだよ。竣工パーティ関係者ご招待の手紙がきたもの。ドレスアップして行って来るからね。
 また大根の季節がやってきたよ。早速一本買って来ちゃった。やっと葉っぱが生えてきたから、今度は出来るだけ大きく切って、プランターに植えてキッチンの窓辺に置いたんだ。毎日水やりしてるおかげで大きく育ってるよ。
 今度はいつ会えるのかな。早く来ないと、私はおばあちゃんになっちゃうよ。
 優しいおじいちゃんと笑っているかもしれない。かわいい孫に囲まれているかもしれないよ。
 でも、いつ、どこで会えても、修くんのことはわかると思うよ。宅急便に込められた修くんの気持ちは、きちんと受け取ったから。もう私の一部になって外せないから。
 
 修くん、ありがとう――

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