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紅色の嘘

本日のお題は『三角関係』『宝探し』『多重人格』(お題は、あいうえお順)。スパイスをきかせた刺激のある作品、更に『一頁劇場〜感想欄及び返信欄で使用した単語や台詞又は小説歌』などを隠し味にさり気に調合した作品を創作して下さい。補助要素は『どんでん返し』です。 『一頁劇場〜感想欄及び返信欄で使用した単語や台詞又は小説歌』については後書きに触れております。
もうひとつは診断メーカーから「桐原草はクールな壮年の執事と素直な花売りのカップルに出会った」

 僕はあまり生活に変化を求めない。毎日決まった時間に起きて仕事をし、決まった時間に寝る。その繰り返しが体に心地いい。それならば会社員をするべきだったと今でも思うが、今のところ僕は物書きという、不規則な生活を強いられる仕事に就いている。
 仕事柄、締め切りの間際になると決まった時間に寝ることなど出来なくなる。学生時代の試験でも十一時になると眠っていた僕にとって、この不規則な生活はたまらなくストレスなのだ。
 だから、締め切りの終わった後は決まり切った生活のリズムで何日か過ごして、心身の健康を取り戻すことにしている。
 午前中は資料を読んだり、メモを取ったり、構想を練ったりして過ごし、十一時三十分になると駅前に出かけてお気に入りの店で昼食をとる。
 その店はメニューが本日のおすすめランチ一つきりで、席も十ほどしかないが、いつもそこそこ混んでいるところを見ると流行っている店なのであろう。昨今の健康食ブームで薄味の玄米食が食べられるのはありがたい。

 食事の後は花屋に行く。花屋といっても、古い土蔵の重い扉を取り外して格子戸に替えただけの、入るのにちょっと勇気がいる造りの店であるが、それが僕には心地よかったりする。
 土蔵の中はこの季節だというのにひんやりしている。格子戸を閉めてしまうと、それまでうるさく鳴いていた蝉の声も、車が砂利を巻き上げながら走っていく音も、すべてが遮断されて別世界になるようだ。
 店の中には至る所に薔薇の花が置いてある。赤、青、黄色、指の先ほどしかない小さな花、両手に余るくらいの大輪の花。すべてが薔薇の花だ。古びた土蔵にふさわしく、いつも着物を着ている店主の菊乃さんの好みで、様々な種類の薔薇が所狭しと置かれている
 「薔薇が好きなのに菊乃なんておかしいでしょう」と笑っていた彼女だが、その名前はよく似合っていると思う。のじぎくのようだ、なんて言えばどこかの文学青年のようだから言わないが。
「いらっしゃいませ。お久しぶりです。もうお仕事は区切りがついたのですか?」
「ええ、昨日一段落したので、またしばらくはこうして遊びに出かけられるというわけです」
「難しいお仕事をなさっているのですもの、息抜きは必要ですわ。さあ、こちらへどうぞ。ちょうどお茶が入ったところです」
 彼女はいつもあまり自分のことは話さない。ただ微笑んで薔薇の香りのするお茶を飲んでいる。僕が何か言うと、ほんの少し首をかしげてにっこりするのがくせだ。二十歳にもなっていないように見えるのに、落ち着いて、それでいてどことなく気品がある。お嬢様といった風なのに一人で働いているなんて、なにがあったのだろう。僕の作家としての好奇心が、この店に来てしまう原因ともなっている。

 そしてもう一つ、僕の足をこの店に運ばせる、謎めいた存在がこの下柳氏なのだ。
 店の奥にひっそりと置かれた丸テーブルで悠然と座ってお茶を飲んでいる男。僕より十くらい上だろうか。生まれる時代を間違えたのだろうというほど着物がよく似合っている。初詣によくみる、お正月だけ着てみました感ありありの羽織おじさんではなく、時代劇にでてくる大店の若旦那然とした、、きりっとした美中年なのだ。
 僕が挨拶をすると下柳氏は愛想よく「こんにちは」と返してきた。その少し低めの声を聞くたびにこれは女性が放っておかないだろうと思うのだが、もしかして菊乃さんとつきあっているのだろうか。
 いや、まさか、この二人だと二十歳くらい違うと思われる。親子ほど年の離れたカップルになってしまう。でもそれならこの二人の関係はなんなのだろう。
 僕は特に好奇心旺盛な方ではないと思っているが、この二人のことはとても気になってしまう。そしてもしも何もないなら彼氏に立候補したいくらいには、菊乃さんのことが気に入ってもいる。
「久しぶりでしたね。お仕事はもういいのですか」
 美中年が繊細な透かし模様の入ったカップを口に運びながら、声をかけてきた。もちろん薔薇の模様のカップだ。
「ええ、しばらくは」
 僕も菊乃さんに入れてもらったお茶を飲みながら答えた。
「雑誌の小説を読ませていただきましたよ。いつもながら真に迫ったお話で、背筋がゾクゾク致しました」
 下柳氏にフッと微笑まれながらそんなことを言われると、いたたまれない気持ちになる。あまり感想を言われることなどないからくすぐったいというのもあるが、女性ならば妖艶という言葉が似合う唇に思わずどきりとしてしまったり、やはり菊乃さんにはこういう人の方が似合うのかもしれないと思ってしまったり、「ありがとうございます」ともごもご謝辞を述べるにとどまってしまい、軽い自己嫌悪に陥ってしまった。

 そんなこちらの気持ちにはお構いなく下柳氏は「では私はこの辺で」と言いながらすっと立ち上がると、菊乃さんに向かって「それでは明日お待ちしております」と声をかけた。
 菊乃さんもにっこり笑いながら「ええ、わかりました。お伺いさせていただきます」と答えている。
 好奇心を抑えられなくなった僕は、見送りから戻ってきた菊乃さんに「明日なにかあるのですか」と聞いてみた。菊乃さんは向かいの席に座って薔薇の香りのするお茶を飲みながら「明日は宝田様に薔薇をお届けするのです」と微笑んだ。
「宝田様というとあの宝田のお屋敷ですか?」
 僕は秘かに驚きながら身を乗り出した。我が町一番の大金持ちの邸宅だ。そんなところと付き合いがあったなんて知らなかった。それどころかあまり儲かってなさそうな花屋さんだから大丈夫かと心配していたのに、申し訳なかった。
「ええ、お得意様なんですよ。良くしてくださってます」
「お屋敷の中はさぞ素敵なんでしょうね」
「ご立派ですよ。ご先祖様からの刀や武具などがたくさん飾ってありますし、お屋敷の調度も溜息が出るようですわ」
 熱のこもった口ぶりとは対照的に落ち着いたそぶりの菊乃さんは、紅茶のおかわりを勧めてくれた。ありがたく受けながら、僕は先ほどから気になっていたことを聞いてみた。
「さきほどの下柳さんは宝田家の方なんですか?」
 菊乃さんはフフッと笑いながら答えてくれた。
「下柳さんは宝田家の執事をしてらっしゃるのです」

 しばらくその後もとりとめのない話をしていたが、話のきっかけがつかめず、僕はほどなく店を後にした。
 下柳氏が執事。あの宝田家にとても似合っているような、似合わないような。あそこは確か七十歳くらいのご当主と、若く美しい奥方の二人暮らしだったのではなかったか。そこにあの執事だ。思わず勘ぐってしまう。まあ、雇い人は他にもたっぷりいるのだろうが。
 それに今日こそは菊乃さんに思いを打ち明けたかったのに。告白出来ずにじゃあまた明日、か。いやだめだ、宝田邸に行くのがお昼からだと言っていた。店はその間、休みにするのだろう。
 そうだ、明日は僕も宝田邸に行ってみようか。こんなとき作家という職業は便利だ。古くから続くお屋敷を書きたいからと言えば、大抵は取材に協力してもらえる。刀も見せてもらえるかもしれない。下柳氏と菊乃さんの関係もわかるかもしれない。
 僕は高揚した気分と落ち込んだ気分を、二つとも抱えながら家路を急いだ。

 次の日、僕は宝田邸の前に立ち、逡巡していた。どっしりした風格のある門構えに見下ろされていたのだ。やはり約束なしにいきなり訪問するのは無謀だったかもしれない。かといってこのまま帰るのもためらわれる。当たってくだけろだ。言ってみるだけなら構わないだろう。
 だが、何度ベルを押しても返事はなかった。威圧感のある正門を横目に、ためらいながら小さな通用門に手を掛けると、思いの外軽い手応えで扉が開いた。鍵をかけ忘れたのだろうか、誰かが来たらすぐ申し開きの出来るように、時々「失礼します」「こんにちは」と声をかけながら進んでいった。
 宝田邸は聞きしに勝る豪邸だった。江戸時代から続いているのだろう、武家の造りを残しながらも、住みやすそうな自家発電の装置や、バリアフリーの設備などが見て取れた。きっと家の中は現代的に手を加えた、心地よい造りになっているに違いない。
 だが不思議なことになんの物音もしなかった。静寂に満ちた空間で、この完全防備体制の整ってそうな玄関をがらりと開けて声をかける勇気は出なかったので、裏手に回ってみることにした。
 丁寧に掃除された砂利道を歩いて行くと、時代劇などでよく見る枯山水の庭と濡れ縁が見えた。なんだか人の気配もする。僕はそうっと近寄っていった。

 樹齢何十年も経っているような立派なサルスベリのかげから覗いてみると、薄暗い座敷の奥に人影が見える。下柳氏と、あれはお屋敷の奥方だ。なんだか抱き合っているような。
 これは大変な現場に居合わせてしまったぞ。戻った方がいいかもしれない。
 そう思いながらも足はいっこうに動かなかった。
 よく見れば下柳氏は奥方と接吻しているのではなくて、白い喉に口づけているのだ。氏のいつも通りの落ち着いた表情とは対照的に、奥方は恍惚とした表情を浮かべて、意識はもうろうとしているようだ。
 そしてその足下には何本もの薔薇が敷き詰められている。薔薇。ひんやりとしたものが背中を走った。まさか。
 暗がりのもっと奥に目をこらす。するともう一つ人影が見えた。菊乃さんだ。菊乃さんが少し首をかしげたいつもの笑顔で、下柳氏を見つめていたのだ。
 いや、違う。見たこともないようなうっとりとした表情で下柳氏を見上げている。口をほんの少し開けて、キスを待ち望んでいるようにも見える。
 奥方はもう眠ってしまっているようだ。下柳氏が薔薇の上に奥方を横たえた。そして緩やかに菊乃さんを振り返った。その表情はきっと一生忘れられないだろう。
 凄艶という言葉がぴたりと当てはまるような、男である僕ですら誘い込まれてしまうような妖しさを漂わせて、ゆっくりと歯を見せるように口元を緩めて、そして微笑んだのだ。僕は足ががくがくと震えるのをとどめることが出来ずに、でも二人を見つめ続けた。
 下柳氏がおいでというようにふわりと両手を広げると、そこに菊乃さんは飛び込んでいった。そこに収まることがもう前から決まっていたかのように。歓喜に満ちた様子を体いっぱいで表現しながら。
 下柳氏は愛しそうに菊乃さんの髪を撫でながら、想いをすべて注ぎ込むように菊乃さんに口づけた。菊乃さんも全身でそれに応えている。
 どれほどの時間が経ったのだろうか、下柳氏が菊乃さんを抱き締めたまま、顔を上げてこちらを向き、僕と真正面から目を合わせた。僕はまだ膝が震えていたが、その視線をなんとか受け止めた。
 下柳氏は僕が見ていたことをすべて知っていたかのように、もう一度、あの凄艶な笑みを浮かべた。その口元に白い歯がのぞき、一筋の赤い血が、たらたらと流れ落ちた。

 それきり僕は気を失ってしまったらしい。気がついたら二人の姿も、奥方も、座敷に敷き詰められていた薔薇も、なにもなかった。蝉がジージーと鳴き騒いでいた。
 僕は倒れている間に蚊に食われていたらしく、体をかきむしりながら家に帰った。

 その後、菊乃さんの花屋は閉めたようで土蔵に戻っていた。一度だけ宝田邸の前まで行ってみたが、通用門も開かなかったし、何も変化はないようだった。心配していた奥方も噂では元気にしているらしい。
 ただ、下柳氏は姿を消したようだ。そのことについても辞めたらしいとしか、近所の噂ではわからなかった。
 僕は何も言わなかった。
 目を閉じるとあのときの下柳氏の凄絶な笑顔が浮かんでくる。菊乃さんのいつもとまるで違う、弾けるような歓びも。
 しかし僕は何も言わずにこれを墓場まで持って行くだろう。そうすることが僕に出来るたった一つのことのような気がするから――。

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『一頁劇場〜感想欄及び返信欄で使用した単語や台詞又は小説歌』で使わせていただいたのは「紅色の嘘」「告白できずに じゃあまた明日」「のじぎく」です。 ミヤーンさんは私の「花嫁の口紅」という小説の感想欄にすてきな歌を詠んでくださったのでそれをご紹介しておきます。
  花言葉
  嫁入り前の
  のじぎく、が…。
  口許歪め
  紅色の嘘…。
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