壱頁劇場すぴのべ
「うわ、こらひどいなあ。左手を心臓より高う上げときや」
彼女の左手に包帯を巻いてやりながら男は言う。クマに似た雰囲気なので鈍重そうなイメージだが、結構器用みたいで、くるくると軽快に包帯を巻いていく。
「何してこんなに怪我したんや。刃物の傷やな、これ。包丁やろ」
女が答えないので男は一人で話し続ける。もちろん、手当は止めていない。
「今日かてワシが電話せえへんかったら、アンタ一人でどないするつもりやったんや。食事の用意でもしてたんかいな」
手際よく汚れたタオルや脱脂綿などを片付けながら男は問いかける。
「……そうよ」
女は不承不承答える。よほど痛むのか整った顔が時々痛そうにゆがんでいる。
「普段まったくせえへんのにどないしたんや。後片付けといたるから、もう寝たらええ」
男はキッチンに向かおうとするが、女があわてて止める。
「そんなのいいわよ。帰ってよ」
しかし時すでに遅く、男はキッチンの惨状を見てあきれ顔である。
テーブルの上には途中まで泡立てた生クリームのボウルと、今回の凶器になったと思われる包丁が無造作に投げ出されている。床には泡だて器が落ちたままだ。そこらじゅうにポタポタ落ちている血が、怪我のひどさを物語っている。
「……これ、どうみても夕飯の支度やないやろ。ケーキでも作ってたんか?」
「……そうよ」
観念したか、そっぽを向きながら女は答えた。
「……誰のために?」
男の、表情の見えないその言葉に、女は少し頬を染めて、男をドアのほうに押しやろうとした。
「誰でもいいでしょ、帰ってよ」
さっきまで青い顔してたけど元気が戻ってきたみたいやな、と男は一安心する。
「待ちいな。ケーキ作りに包丁はいらんやろ。どないして左手小指の第三関節なんか切ったんや?」
男が腑に落ちない顔で女の包帯を眺めた。
「……はさみが見つからなかったから、包丁で砂糖の袋を切ろうと思ったのよ」
さあもう帰って、と女はもう一度男を立たせようとするが、男に腕をつかまれて動けなくなる。
「そないな無精して。もっと大事になったらどないすんねん。いつまでに作らないかんのや。作っといたるから、もう寝とき」
男の言葉に女は反射的に答えた。
「アンタが作ったら何にもならないのよ!」
しまった。言ってしまった言葉を消し去るかのように、女は口を押えて男をうかがう。
一瞬の沈黙ののち、男が少し緩んだ顔で問いかけた。
「……ワシにプレゼント?」
「……」
「……可愛ないなあ、こんなときは『そうよ』って言うて甘えるもんやで。アンタはほんまに可愛ないで」
そういいながら男はひょいと女を抱き寄せ、髪をいとしそうに撫でた。