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窓辺のギタリスト

桐原草さんの本日のお題は「コード」、恋に落ちる手前の作品を創作しましょう。補助要素は「屋内」です。

 「Cm G7 Cm 次はCm Fm6……っと、間違えた!」
 先輩の周りはいつもにぎやかだ。先輩の明るさに誘われてこの生徒会室にはいつも人が溢れている。今日のように誰もいないのは珍しい。先輩と二人きりなんて今年に入って初めてかも。
 窓辺の温かいところにちょこんと陣取って、先輩はアコースティックギターと格闘している。この間のお年玉でやっと買えたらしい。それだけに愛情いっぱい、片時も離したくないって感じだ。小柄な先輩が腕いっぱいにギターを抱えているのだが、その姿はどう見ても抱きしめているようにしか見えず、ギターにまで嫉妬しそうになる私がいる。

 
 半年前、もうすぐ梅雨入りのある日、傘を忘れた私は駅まで走るには何分かかるかを考えていた。引っ越してきたばかりで友達もおらず、傘を借りる当てもなかった。覚悟を決めて走り出そうとしたとき、背後から声がかかった。
「一緒に入っていこうよ」
 振り返ると、165センチ位の愛くるしい顔の男子が黄色のちっちゃな折り畳み傘を差し出して笑っている。なんだかかわいい組み合わせに思わず笑みがこぼれてしまった。すると彼は言ったのだ。
「でも傘はキミが持ってね」
 
 仰せのとおり175センチの大女の私が傘を持ち、小学生のような黄色い傘を相合傘にして駅まで歩いた。聞いてみるとこれでも一年先輩の生徒会役員らしい。
 駅までの短い道のりで先輩と私はいろいろな話をした。私は始終笑いっぱなしだったように思う。僕の話であんなに笑い続けていたのはキミが初めてだ、と言っていたから。
 そして、なぜか駅に着くころには生徒会に雑用係として入ることになっていた。10月には生徒会長の選挙で、この学校では立候補者が二人以上だと選挙になるらしく、先輩の対抗馬は野球部のエースらしい。
 そのライバルの野球部のエースがイケメンで、身長183センチ、頭もトップクラスという非の打ちどころのない男だから助けてほしいんだ、と言われて断りきれなかったのだ。
 私はこんな身長をしているが中身はとても地味で、目立ったことをしたことがない。だから雑用とはいえ、生徒会なんて恐れ多い感じだったのだが、先輩をはじめみんなとても優しく、転校してきたばかりの私も引け目を感じることなく溶け込むことができた。
 選挙戦と言っても人気投票のようなものなので、先輩は苦戦するかと思われていたが、持ち前の明るさとその愛くるしいマスクで、そんなに苦戦することなく生徒会長の座を勝ち取ってしまった。それに先輩も学年で成績トップクラスらしい。それを後で知らされた時には、なんだ同情して生徒会に入るんじゃなかった、と憤慨したものだ。

   誘われて生徒会に入ったときはもう少し仲良くなれるかもと思ってたけど、もう半年経っちゃう。先輩に直接誘われたのって私だけ、なんてうぬぼれてたけど、何もなかったな。先輩も来年は3年で受験だからそんなに会えないだろうし、ますます遠い人になってしまうのかな……。
 窓辺で一心に練習していた先輩が顔を上げた。目が合っちゃう。あわてて目をそらしそうになって、失礼かもと思い直し、話しかけてみる。
「頑張ってますね、生徒会長。任期中にはマスターして聴かせてくださいよ」
 先輩は弦をもてあそびながら答える。
「なかなか難しいんだよ、これが。好きな子に告白するほうが簡単かも……」
 私の胸がずきんと痛んだ。何気ないふりをして会話を続ける。
「あら、先輩好きな子いるんですか? 先輩のファンが聞いたら泣いちゃいますよ、きっと。もう告白したんですか?」
 すると先輩は練習の手を止めて話をする態勢に入った。
「それがなかなかその子が気付いてくれなくてね」
 先輩がにっこり笑う。


 
「知ってるかい、ギターの教則本に書いてあるのはコードだろ。でもコードって言ったら他の意味があるんだ」
 私は無い知恵を絞って考える。
「うーん、コンセントに差すコードとか?」
 それを聞くと先輩は苦笑いした。
「はは、そいつがあったか。そのほかにも暗号っていう意味もあるんだよね。スペルにしてしまうと違うけど」
「ああ、スパイ映画なんかで出てきますね」
 私は先輩が一体何を言いたくてこんな話を始めたのかわからないまま、話を続けていた。

  「今練習しているこの曲、映画音楽なんだよね」
 それは知っていた。有名な恋愛映画。彼が彼女に愛を告白するときのバックに流れていたロマンティックな曲だ。先輩って案外ロマンティストなのね、と思いながらいつも練習を聴いていたから。
「恋を告白するのに一番ふさわしい曲だろ。暗号みたいに、僕の気持ちも伝えてくれないかと思ってたんだ、ずっと」
 先輩の背後の窓から暖かい日差しがさしていて、先輩の表情が陰になって見えない。どんな顔でその言葉を言っているのですか?
「今はまだ下手だけど、うまく弾けるように聴いていてほしいんだ。これからも、ずっと」

   私の心臓がドキンと大きく打った。恋が始まるかすかな予感がした。

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